くまモンの生みの親、小山薫堂さんの『まってる。』

こんにちは、検索迷子です。


放送作家、脚本家であり、多彩な活動をされている、熊本県出身の小山薫堂さんが、被災地支援のWebページと、募金箱の開設を発表されたようだ。

小山薫堂さん、熊本支援ページ開設へ くまモン生みの親ー朝日新聞デジタル
熊本県出身の放送作家で、「くまモン」の生みの親の小山薫堂さんが、熊本地震の被災地支援のため、「ヤフー!ジャパン」のサイト内に、「FOR KUMAMOTO PROJECT」のページを立ち上げると発表した。ページ上に「くまモン募金箱」を設け、支援金も募る。開設は25日の予定。


小山さんといえば、映画『おくりびと』、TV番組『料理の鉄人』など数多くの実績を残されているが、私は小山さんの発想が好きで、書籍も数冊読んできた。


なかでも、くまモンを生み出し、著作権を買い取って、商標権を使用許諾制にしたことによって認知度が高まっていったという、くまモンの広がるプロセスについてもとても興味を持っていて、柔軟な視点にはいつも驚かされる。この詳細は、小山さんの書籍でも見られるが、ネット記事もあったので、ご参考までに。
「くまモン」は私たちが育てました ゆるキャラを“売るキャラ”に変えた熊本県職員たちー日経ビジネスデジタル

小山さんが翻訳した絵本

今日は、そんな小山さんのお仕事のなかでも、私がとても好きな、小山さんが翻訳した絵本についてご紹介したい。なぜいま絵本? と思われるかもしれないが、何かこの絵本のなかのメッセージと、地震の復興に思いをはせたとき、願いがリンクする絵本のような気持ちがしたからだ。


実は、3年前に一度このブログで紹介させていただいたが、一部を新たに書き換えて、再度紹介したいと思う。


『まってる。』、
デヴィッドカリ、セルジュブロック作、小山 薫堂(こやまくんどう)さん訳、千倉書房2006年11月刊。

まってる。

まってる。

  • 作者: デヴィッドカリ,セルジュブロック,Davide Cali,Serge Bloch,小山 薫堂
  • 出版社/メーカー: 千倉書房
  • 発売日: 2006/11/17
  • メディア: 大型本
  • 購入: 7人 クリック: 59回
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若い女性と男性が、出会って、時に命が尽きて老いた家族と別れて、そして赤ちゃんの新しい命に出会うという、壮大な時間の流れを描いた絵本だ。絵本だから、とても薄い本なのに、人が人と出会って生きる、その一生を「赤い糸」がつながれた関係として、視覚的に表現した絵本だ。


待ってる、という気持ちの表現を、赤い刺繍糸を「待っているもの」の象徴として、絵の中に必ず埋め込み、ストーリーは展開していく。静かな絵本なのだが、赤い糸が本当に生きているかのような、生命力をもって表現されている。


赤い刺繍糸の使われ方がとても効果的で、そのときどきの人生のシーンでの、「待っている」ものが、誰にとっても、ああ、それわかるわかる、というものばかりでとても素敵な絵本だ。


いわゆる「運命の赤い糸」のような、わかりやすい使われ方だと、「運命がつながる日をまってる」の絵本のページがあり、そこでも当然、赤い糸を使っている。


人の一生には、これほど多くの待ってる、があり、数多くの出会いがあるのだと思った。


そして、なかには、待っていたくないけど、
命がそっと終わりを迎えるときなど、受け入れなければならないこともあると気づかされる。
それが、またせつなく、でも生きていればそういうときもあるのだろうと思わされた。


自分が待ってるものは何だろう。
あなたが待ってるものは何だろう。


不思議なことに、これを3年前に見たときは、恋愛的な要素が強い作品と受け取っていたような気がするが、いま見返してみると、生きるうえで必要なもの、待っているものって多様なんだと思うようになった。


それは、天災のない日々だったり、未来への希望だったり、何気ない毎日だったり、ただただ、身近な存在と笑い合えるだけの穏やかな時間だったり。


待っているものは来るだろうか。
でもたぶん、ただ待つだけではだめなような気もする。


待っていることって、受け身なことではなく、ものすごくエネルギーを持つ、実はとても自発的な行為なんだと思うようになってきた。待つ時間さえも、有意義に過ごしていないと、待っていることすら伝わらないのではないかと。


だから、待っていたいことがあるならば、行動しようと思う。
運命の赤い糸は、恋愛だけのものではなく、幸せをたぐりよせようと思う、その気持ち全体の象徴なのだろう。


待ってる。


赤い糸を切らさないよう、ぼんやりして赤い糸がかすまないよう、今できることを懸命にやる。


誰かが赤い糸を垂らしてくれるのを待つのではなく、赤い糸を自分から垂らしにいけるよう、赤い糸をしっかりとたぐりよせるパワーを切らさないよう、生きるということを大事にしようと思う。


まってる。
と言っていたいと思う。
まってる。と思えるものを失くしたくないと思う。


それが、誰かと自分を結ぶ、つながりの糸であり、待てるものがあることが、希望なのだから。待つもののある人生は幸せだと、この、まってる。は教えてくれる。


「まってる。」と言えるものがあり、待つことが今を照らす光となることも確かだが、よりアクティブに、待つ時間を生きて行こうと今、自分は思っている。


今晩、穏やかな眠りについて、明朝に眠りから覚めて、一日笑顔で生きられるよう、願いはそれほど大きくない。


でも、その時間こそ「まってる。」時間で、その時間こそ、かけがえのない、命の1ページ。


では、また。