草なぎ剛さん著『Okiraku 2』での「和顔愛語」の精神

こんにちは、検索迷子です。


今日、ゴロウデラックスで、草なぎさんの『Okiraku 2』が課題図書となる。それで、少し時間が開いてしまったが、感想の続きを書こうと思う。


以前にも、少し感想めいたものを書いている。
草なぎ剛さんの『Okiraku 2』での、お花の話題
草なぎ剛さんの『Okiraku 2』読了直後

Okiraku 2

Okiraku 2

Okiraku 2 豪華特装版

Okiraku 2 豪華特装版


私は、書評を書くのが好きなのだが、同じ本を何度もレビューするというのはあまりしないが、この『Okiraku 2』は、タレントさんが出版した本というくくり以上の読み応えがあり、視点を変えて何度かレビューしたいと思っている。書いても書いても、もう一度紹介したいと切り口が出てくる。


今日、番組を視聴してから感想を書くのも面白そうだが、いったん、草なぎさんご自身の口からの感想を聞く前に、自分はこう思ったというのを記録しておきたい。ご本人の感想を聞くと、そこに引っ張られて、自分の素の感想が書きにくくなるかもしれないので、自分の思ったままを一度残したいと思う。


前回の感想ブログでも書いたが、私はこの本を3回通しで読んで、フセンを立てたり、ノートのメモをしながら読んだ。それから2週間近く経過してしまったが、ノートを見返してみて、改めて読みたてほやほやのそのときの殴り書きのような感想を、整理しておきたくなった。

「和顔愛語」にあふれる一冊

本書を読んですぐに思ったのは、人や物事を「リスペクト」する表現が多い本だなということだった。出会った人、仕事や物事、アイテムなど、そのときどきの自分と出会えたことに対する「感謝」の気持ちが、直接的な言葉としても間接的な表現としてもあふれていると思った。


そして、対象に対する「敬意」に包まれ、そこから「真摯に吸収」している草なぎさんがうかがい知れる。何にどのような状況で出会っても、それを取りこぼすことなく、どんな機会も自分の栄養にしているのだとわかる。
こんなに多忙で、こんなに変化が多く、たくさんの人と出会い、仕事の成果が絶えず求められるなかでも、決して一つ一つをおろそかにせず、自分に取り込む姿勢はとても素晴らしいことだと思う。


特に、本書で目を引いたのは、言葉そのものだ。
草なぎさんは、何かを批判するような言葉を使わない。ネガティブワードを使って何かを誇張するような、逆説的な言い回しすらしない。何かを落とすような言葉、気持ちが暗くなるような言葉が、本一冊まるまる出てこない。2007年から約9年分の記事をまとめた一冊が、ここまで美しい言葉で埋め尽くされているのは、それだけで驚く。


本書では、シンプルで、まっすぐな賛辞の言葉を惜しげもなく人に注がれている。過剰な形容詞すらつけない。だから余計に、そのシンプルな言葉が響いてくる。本書で取り上げられた話題となった、人や仕事や物事は、草なぎさんの言葉によって、より輝きを増すような存在に映る。人であれば会ってみたいと思うし、仕事であれば、その成果物に触れてみたいと思う。


本書の表現を見ながら、草なぎさんが発する言葉の根幹にあるものは何だろうと思っていた。それで、ふと、「和顔愛語」という仏教の言葉を思い出した。簡単に言うと、「穏やかな表情で、愛のある言葉を発する」ことだ。以下、言葉の意味をご参照ください。

国立国会図書館 レファレンス協同データベース

質問:「和顔愛語」の読み方、意味、出典が知りたい。

回答:
「和顔愛語」の読み方については(わがんあいご)と(わげんあいご)のふたつが確認できた。『岩波四字熟語辞典』によると、「【和顔愛語】わがんあいご:穏やかな顔つきとやさしい言葉遣いのこと。「和顔」は柔和な顔。温顔。「愛語」は愛情のこもった言葉。特に仏教で、菩薩が人々を導くために優しい言葉をかけることを言う。「和顔愛語」は仏教書に見られるが、「和顔」は仏教に限らずふつうに使われる。」とある。さらに、『広説佛教語大辞典下巻』では、「【和顔愛語】わげんあいご やわらかな顔色とやさしいことば。やわらいだ笑顔をし、親愛の情のこもったおだやかなことばをかわすこと。なごやかな顔、愛情あることばで人に接すること。
(後略)


草なぎさんが持つ空気感は、この「和顔愛語」にぴったりのような気がした。テレビで拝見する、ご本人そのものにもその雰囲気はあるが、書き言葉にもその空気がにじみ出ているところが、なによりも草なぎさんの素晴らしさだと思った。


私自身、書いている文章と、実際に会う自分とは少し違うと印象が違うと言われる。意図的ではなく無意識のものだが、それはタレントではないゆえ、匿名ブログゆえの、セルフコントロールのなさかもしれない。


草なぎさんの場合、ご本人と文章のギャップの少なさは、常に見られているというタレントさんの意識の高さからくるものかもしれないし、本当に裏表がない性格なのかもしれない。いずれにしても、本の言葉や行間にすら愛情の深さや柔和さを感じるというのは、本当に凄いことだと思っている。

自分自身への厳しさ

他者へは「和顔愛語」の精神で接している反面、草なぎさんはご自身には厳しい面を持つ言葉を使われている。内省的な表現、「ラクしてはいけない」という自らへの戒め、「何々になりたい」という決意、自分がどのように見られているのかという客観性、「緊張」への対処のしかたなど、冷静にご自分を見ているような表現が随所に見受けられる。


他者を責めない草なぎさんは、ご自分にはこうして、内面と向き合う時間を持ち、今後はこうしようと考える時間がたくさんあるのだと思うと、より、その内省の言葉に重みが増す。


環境や周囲のせいにせず、自己責任で物事を引き取ろうとする、その前向きな姿勢は、人として見習いたいと思わされる。


かといって、強い言葉で自分を責めるということではなく、ほどよく「弱み」を見せて、自分自身の葛藤も伝えている姿に、一人の人として共感できることも多く、自分もこうやって肩の力を抜きつつ、でも、タフに生きていく方向に昇華させたいなと思わされる。

SMAPで一番、5人という存在を語っているような一冊

私は本書を連載当時には一切読んでおらず、書籍化で初見の文章ばかりだったのだが、読了して、一番最初に衝撃を受けたのは、「草なぎさんがSMAPで一番、SMAPを語っている存在だったんだ」という事実だった。それも、テレビで観ているのとあまり差のないイメージで、メンバーへの思いや愛情ある言葉を綴っている。


これを連載で読んでこられたファンのかたたちに対して、ファンのかたはずっと草なぎさんに寄り添ってこられたんだと思った。そして、ファンのかたたちの後押しがあって、この連載は19年も続き、書籍化は2冊目となったのだと思った。


私は前書の『Okiraku』を読了したあと、いつかこの続きが書籍になるタイミングで、続きをまとめ読みをしようと思っていた。でも、今読み終えて見て、リアルタイムで読まなかったことを少し後悔した。


草なぎさんの素直な気持ちが綴られたこの言葉を、リアルタイムで読んでいたら、草なぎさんという人を信じて、応援したくなる気持ちがわかるなぁと思った。


メンバーに対する思い、ファンのかたに対する思い、仕事や関係者に対する思いを、逐一、連載の形で発信してもらい、ライムラグがあまりないなかで受け止めることが、どれだけファンとの絆を強めて、信頼関係を築いてきたのだろうと思うと、連載という場はとても大事で、かけがえのないコミュニケーションの場所なんだなと今回、あらためて連載があるってすごいことなんだと思った。


本書は、連載自体は15年秋のところで終わっているが、最後の「草なぎ剛ロングインタビュー」では、15年末の紅白にも触れられているし、脚注のスマスマの紹介に「コップのツヨ子さん」の記載もあるから、年明けまで編集作業は行われていたのだろう。


年初の会見とのつながりがわかるような記載はないが、少なくとも、本書の内容をもっと早くに読んでいたら、私自身、あの会見の見方とか、SMAPに対してどう思うかという気持ちはもう少し違っていたような気がする。いろんな報道に振り回されたり、ざわざわするような気持ちがもう少し緩和されるような、信じられる言葉の根拠やベースがここにはたくさんあると思ったからだ。


もちろん草なぎさんがすべてを語っているわけではないが、なにか、草なぎさんの言葉を信じていたいと、思うゆるぎないものをくれるような一冊だと思えた。



まだ、本書のことは書ききれていない思いもあるが、今日はいったんここまでとしたい。



では、また。