桜の散りぎわと四月の息吹

こんにちは、検索迷子です。


桜が少しずつ散りかけている。生まれ育った場所柄、自分にとって桜は四月の花ではなかった。だからいまだに、四月上旬に桜が散り始める光景がなじめない。もう散ってしまうのかと、何かせかされているような、そういう気分にさせられる。


少し前に、桜をテーマにした短歌と詩を紹介した。たぶん今年、最後になるであろう、桜を題材にした短歌を紹介したい。


まず、2首短歌を紹介する。
俵万智の子育て歌集 たんぽぽの日々』、俵万智(たわら・まち)さん、小学館、2010年3月刊より。

たんぽぽの日々: 俵万智の子育て歌集

たんぽぽの日々: 俵万智の子育て歌集

さくらさくら
さくら咲き初(そ)め咲き終り
なにもなかったような公園


引用注:ルビを()で表記した

桜が散った後は、桜が満開だった光景が、まるで幻だったような気さえする。その映像が浮かぶ短歌だ。

逆光に桜花びら流れつつ
感傷のうちにも木は育ちゆく

桜が散るということに感傷を重ねがちになるが、それは木が育っていき、また来年花を開くための準備期間に入るのだと思うと、桜は散って終わりではないのだと、はっとする。散った後も、桜は命を持ち、生き続けている。つい、点だけの今だけの美しさにとらわれて、命というずっと続く、線の時間を見ていない自分の視点の狭さを知らされてしまう。


そして最後に、桜の散り際の感傷で終わるのは淋しいので、四月が始まりの時期だと実感できる、短歌で締めたい。

クレヨンの一本一本一本に
名前書くとき四月と思う


私は子育ての経験はないが、お子さんに文章や言葉を教えたりも時折していて、その子の名前がしっかりと書かれた文房具を見ると自分の幼少期を思い出す。四月は始まりの時期なんだなと、つくづく思う。


大人になると何年生とか、四月だからアイテムを新しくする機会はぐんと減るが、大人にとってもこのクレヨンのようなものは何かあるのだろうと思う。大人ならではの、四月の始まりの儀式のようなものが何か。


地域によっては、北上する桜前線によって、これから桜の見ごろを迎えていくだろう。体感時期が四月ではないと言いつつ、やはり桜の作品は四月がふさわしいとこうして紹介した。長くブログを続けていると、桜の話題を何度か書いてきたことにも気づいたので、以下にご紹介しておきたい。


でもやはり、今年の桜を見る思いは、今年だけのものなのだと思う。
ぜひ、お花見がまだのかたはお出かけになって、今年の桜を、今年のご自分で感じてほしいと思う。

桜をテーマに書いた過去の記事

過去にも数回、桜を題材にした記事を書いている。
雑感が多いが、特に、一行目に紹介する、桜を表現する美しい言葉を集めた本の紹介は、自分でも印象深い。
桜の季節の美しい言葉
散る桜、咲く桜
雨の中の桜
幻の桜の木