お別れの挨拶で伝えたい、桜のような言葉

こんにちは、検索迷子です。


「お別れの挨拶」を探しているかたが、偶然、このブログにたどり着いてこられることが多い。特に年度末の3月は圧倒的にその数が増える。どんなお別れの場面で、誰に思いを伝えたいのかと、見知らぬかたの気持ちを想像してみたりする。


私が、一番最初にお別れの挨拶を意識して書いたのは、学生時代の答辞だったと思う。といっても、卒業生代表として読んだのではない。卒業生のなかから数名、国語の先生が作文が好きな子どもを選び、合作で答辞を書いたのだが、その一人に選ばれたのだ。初めて地元を出る手前の時期に、人前でお別れの言葉を発するということって、どういうことなんだろうと思って書いた記憶がある。


あらかじめお断りしておくと、お別れの挨拶の定型文とかテンプレートのようなものは、ここには載せていない。スピーチ原稿や手紙文など、文例なしに書いたり、他のかたがかいたものの添削もできるが、定型文ではお別れの挨拶は体温が伝わりにくいような気がしている。また、「何を伝えたいか」を考えることが後回しになりがちかと思っている。

お別れの挨拶のする気持ちの整理に

検索迷子ではこれまで、お別れの挨拶を綴った一連の記事があって、長く読まれている。
古くは6年前に書き、少しずつ書き足してきた、お別れにまつまる感想めいたものばかりで、一見お別れの言葉を探すには遠回りかもしれない。でも、記事を通して感じてもらえるものもあるのかと、そのままにしている。


お別れの挨拶に聞きたい言葉 - 検索迷子
お別れの挨拶を言えますか。 - 検索迷子
さよならより、ありがとうを - 検索迷子
さよならなんてだいきらい - 検索迷子
お別れの挨拶ができる喜び - 検索迷子
悼む詩(いたむ詩) - 検索迷子


閲覧数が多いことから、もっと読みやすく編集し直したいとか、マニュアル的に書いたほうがニーズにあっているだろうかと考えていた時期もあるが、それはマナー系の情報サイトで探せるので、私はあくまでお別れにまつわる気持ちの整理のようなものを、ときどき書き足そうと思っている。


お別れのシーンには、それが命の伴う永遠のものもあれば、物理的な環境変化もある。だから、文例を本気で書こうと思うとかなり大変なことだ。さらに、誰から誰へという関係性も大きく、当事者間でしかわからないキーワードや思いもある。


インターネット検索を使って、お別れの挨拶を探しているかたは、私的な場合より、対複数の相手に向けて、少しかしこまった場面での挨拶を探しているような感覚がある。淋しさのなかにも、きちんと場を成立させるために、とても気を遣われているのだと思う。


でも、お別れの挨拶は、結婚式スピーチとかのようにその後も関係性が続くという場合とは少し異なり、人生訓のようなものを織り交ぜることもなく、とにかく、「いったんはお別れ」の挨拶なので、極論すればどんな挨拶だって言いっぱなしで終わることが多い。


仮に恥をかいても、明日からは会わない前提の挨拶なのだから、素直にそのときの感謝と思いを伝えてもいいのかと思っている。「これまでお世話になりました。本当にありがとうございました。」だって、気持ちが入っていれば十分な挨拶になる。


と書きつつ、一つだけ付け加えるのならば、「言いたかったことを、そのとき言わずに後悔しない」ということだろうか。その時を逃したら、もう二度と言えないこともある。いつでも会えるくらい連絡先を知っていて、SNSでつながっていたとしても、もう対面では二度と会わない人だっている。


お互いがお互いを必要とする濃度が変われば、永遠に途切れてしまう縁もある。でも、知り合って一緒に過ごした時間に感謝を伝えたいなら、丁寧にあいさつの言葉を選んだほうがいいだろう。



それがたった一言だとしても。ありきたりな言葉だったとしても言わないより言ったほうがいい。だから、同じ場所で、目を見て言える状況でしか言えないことほど、大事にしてほしいと思う。

「さくら」の詩

3月のお別れといえば桜なので、この時期に添った、詩をひとつ紹介したい。といっても、私が生まれた場所は桜は3月末ではなく、一般的なイメージとしてとらえている。


先日、(16)稲垣吾郎さんの、桜のようなファンタジーさで、桜をテーマにした短歌を紹介したが、今日は、桜にまつわる詩を紹介したい。


まど・みちお詩集』、ハルキ文庫、1998年4月刊より、「さくら」。

まど・みちお詩集 (ハルキ文庫)

まど・みちお詩集 (ハルキ文庫)

さくら
       まど・みちお


さくらの つぼみが
ふくらんできた


と おもっているうちに
もう まんかいに なっている
きれいだなあ
きれいだなあ


と おもっているうちに
もう ちりつくしてしまう


まいねんの ことだけれど
また おもう


いちどでも いい
ほめてあげられたらなあ…と


さくらの ことばで
さくらに そのまんかいを…


桜の美しさを眺めているうちと、その美しさは永遠に続くような陶酔感がある。でも、現実はあっというまに桜の満開時期は過ぎ、散り始め、散りつくしてしまう。そう思っているうちに、「さくらのことばで」「そのまんかいを」褒めそこない、過ぎた時間に悔いを残してしまう。


「さくらのことばで」とは、美しい言葉でという意味の、比喩的な使われかただと思うが、相手に伝えたい思い、感謝など、自分の本当の気持ちのことをさすのだろうか。相手への賛辞であれ、感謝であれ、相手の心に届くものであれば、それはもう「さくらのことば」なのだと思う。


「まんかい」というのも、気持ちを一番伝えるべきタイミングを逸してしまわぬよう、自戒の気持ち、言えてこなかった過去へのくやしさのようなものを感じる。


お別れの言葉は、過剰にデコレーションする必要はないと思うが、その日その時にしか言えない言葉もあるのもまた、事実だと思う。



明日という日が過ぎてしまって一晩眠ったら、もう、その人と会う日々は戻らないのだとしたら、何を伝えたいだろう。


自分らしい言葉で、悔いのないお別れの挨拶を。


では、また。