ジーンズの詩

こんにちは、検索迷子です。


最近ずっと草なぎ剛さんのことを書いていて、
思いがけず連続して書き続けている。
当初、一度書けば気が済むかと思っていたが、
書いたことで加速する思いに自分が一番驚いている。


というのも、検索迷子をずっと書いてきて、
人を対象に感想を書くのはかなりの冒険だったからだ。
これまで、詩や書評や映画の感想などは書いてきたが、
パフォーマンスをする人そのもの、
しかも、国民的アイドルと呼ばれるかたのことを
自分が書くなんて思いもよらなかった。


時事ネタ、リアルタイムな出来事、
メディアからの直接的な影響、
現在ご存命のかたのことを書くのは、
自分には難しいと、踏み込まずにいた領域だった。


それが、草なぎ剛さんの可動域を書きたいばかりに、
ぱーっとタガがはずれたように、ある日書き出したのだ。
ノートパソコンを持って外出した日、
お茶をして、ぼんやりMステのことを思い出していたら、
あー、今、書きたいと一気に書き始めたときの衝動すら、
鮮明に覚えている。


書いたことでわかったことも大きかった。
自分の軸がぶれなければ、何を書いても、
自分の言葉の選び方や空気感は何も変わらないのだと思った。


世の中を美しい言葉で満たしたい。
言葉は人を温めるために使いたい。


そうずっと思っていることは、
草なぎさんという現在進行形で活躍されているかたを表現してみて、
なにも自分はぶれないということがわかった。
というより、読んでくださった草なぎさんのファンの方たちの
温かな反応によって教えていただいた部分が大きい。


優しい表現を心がけていけば、
ステージでライトを浴びる人に対して、
自分も言葉の小さな粒で、
その人を輝かせる一部になれるのかもしれないと思えた。


自分がここで書いてきた姿勢は、
間違っていなかったと思えたのは大きく、不思議な幸福感もある。


私が何かを書こうと思うときは、
対象となるかたがもし、検索迷子を目にする機会があれば、
本人にそのまま見せても恥ずかしくないようにと思っている。
そしてできれば、喜んでもらいたいという気持ちでいる。


また、どんな形でもいいから、間接的にどなたかが、
ご本人に検索迷子を紹介していただけたら嬉しいと思っている。
自分から言うのではなく、こういうことが書いてあったよと、
ご本人の信頼できるかたから伝えてもらうほうが、
より気分がいいように思う。


対象は草なぎさんに限ったことではなく、
誰かに光をあてていきたいという気持ちを持っている。


こうやって小さな場所で書き綴ったものが、
その人の気持ちを温めてくれる瞬間があると信じたい。
自分にできることは、
言葉のギフトを少しずつちりばめていくことで、
すくいとってくれるかたがいる場所で、
書いていければと思っている。



今日はあえて、タイトルに草なぎさんとつけなかったのは、
今後ブログ運営をどうしようか、模索しているからだ。


もしこのまま草なぎさんのことを書くのなら、
別ブログを立てるか、
別アカウントで運営するか、
そもそも何を中心に書いていくか、
いま、微妙な段階にあるため、しばらく考えながら
書いていこうと思っている。



ということで、もともとの検索迷子の好みのジャンルである、
詩を紹介しますが、
今日のタイトルは、「ジーンズ」です。


ベストジーニストの殿堂入りをされた草なぎさんと
親和性も高いから目に飛び込んできた詩だが、
なんと、中学校の教科書に掲載されている詩なのだ。


詩を先に知って、調べていくうちに教科書掲載を知り、
読み込むうちに奥深い詩だと思ったのでご紹介したい。


高橋順子(たかはしじゅんこ)さん著
思潮社、2001年4月刊「高橋順子詩集」より。

高橋順子詩集 (現代詩文庫)

高橋順子詩集 (現代詩文庫)

ジーンズ    
高橋順子


  ジーンズを洗って干した
  遊びが好きな物っていいな
  主(ぬし)なんか放っといて歩いていってしまいそう
  元気をおだしってジーンズのお尻が言ってるよ
  このジーンズは
  川のほとりに立っていたこともあるし
  明けがたの石段に坐っていたこともある
  瑠璃色が好きなジーンズだ
  だから乾いたら
  また遊びにつれてってくれるさ
  あいつが じゃなくて
  ジーンズがさ
  海にだって 大草原にだって
  きっと


*注 ルビは検索迷子が補足


ジーンズは気軽に着用できるが、
洗濯物して乾くまでは時間がかかる。
草なぎさんは洗濯されないようですが、
そこは今は脇においておきます。


ジーンズが乾くまでの時間、
ジーンズを洗う前に履いていた楽しい時間の記憶を、
ゆっくりと過去に変えていこうとする。
乾きにくいものを乾くまで待つ時間が必要なときもある。


この詩を読んで、
ジーンズという着用するものにもストーリーがあり、
そのストーリーを、
物に染み込ませていくのも人の記憶なのだと思った。
シャツでもなく、スニーカーでもなく、
このジーンズが記憶を引き取ってくれて、
あと幾度それを着用するたびに、思い返すのだろうと思う。


でも、戻らぬ時間、戻らぬ人の気持ちを待ち続けていては、
先には進めない。


どこかに連れて行ってくれる人を待つのではなく、
自らが、ジーンズで出かけていくのだ。
その主体性がやけにじわじわときいてくる詩だ。


私の学生の頃の教科書には掲載されていなかったこの詩を、
草なぎさんがジーンズ好きというつながりだけで偶然見つけ、
なにかとても気分が良くなった。


この詩を、青春時代の失恋からの立ち直り、
と、一言で片づけてしまうような大人になってないよね?
そう、まるで自分に問いかけるように、
今の自分の年代なりに、言葉を受け止めようと思った。


なによりも、ジーンズって手軽に履けると思っていたが、
確かに洗ってすぐ履けないなと思うと、
その手のかかり具合に着目して詩が生まれるなんて、
なかなか素敵なことだと思った。


手がかかるけど、なじんだものは手放せない。
そこの深さが読み返すたびに、きいてくる。


では、また。