(14)香取慎吾さんの、みどりごのような笑顔

こんにちは、検索迷子です。


今日は、「剛 しっかりしなさい!」のブログ運営者である、凪(なぎ)さんとのコラボブログ第14回である。ブログ主旨については、最下段にリンク先を掲載している。


さっそくだが今日は、香取さんをおもにイメージした、お花や植物に関する短歌を紹介したい。


前回、SMAPの『世界に一つだけの花』に関連して書いた、(12)草なぎ剛さんに、いちめんのなのはなをで「お花」の詩を紹介したところ、思いがけない反応を複数のかたからいただいた。


私のブログが、Twitterの「#私の_世界に一つだけの花」に、詩の紹介で参加していると指摘していただいて、それにはっとしたのだ。実はそういう意図は全くなかったのだが、あ、そういう参加形式と受け止めていただけたのだと、個別にお礼はできていないが、逆に私が教えていただけてとても嬉しくなった。


それでちょうど、香取さんがドラマの最終回を迎えることもあり、このタイミングに合わせて香取さんのメンバーカラーであるグリーンで探していたところ、詩ではなく、しっくりくる短歌を見つけた。


凪さんの(13)明日へ、を受けて書こうかと思ったがそこは今日はスキップし、その翌日に放送された、のど自慢も一部話題に含めていく。

香取さんに贈りたい、成長記録のような短歌

香取さんのイメージカラーのグリーンで、お花を探すというのはなかなか難しかったため、植物も含めてお花という概念で読んでいただければと思う。


俵万智の子育て歌集 たんぽぽの日々』、俵万智(たわらまち)さん、2010年3月、小学館刊より。

たんぽぽの日々: 俵万智の子育て歌集

たんぽぽの日々: 俵万智の子育て歌集


最初に3首、私が選んだ短歌を紹介する。

みどりごと散歩をすれば
人が木が光が話しかけてくるなり



竹馬のように一歩を踏み出せり
芝生を進む初めての靴



たんぽぽの綿毛を吹いて見せてやる
いつかおまえも飛んでゆくから


この歌集、サブタイトルにあるように、俵さんがご自身の息子さんの子育てしながら編んだ歌集のため、お子さんに対する母親のダイレクトな目線の短歌が中心だ。


それがなぜか、SMAPの末っ子と言われ、小学生から活躍されてきた香取さんに当てはめてみると、しっくりくるのだ。決して私は香取さんを子ども扱いしているわけではないが、年齢を重ねても背が伸びても、香取さんは最強の笑顔を持ち、そのパブリックイメージにあてはまる感じがした。


また、実際の歌集の並び順は、俵さんが章立てしているのとまったく違う。あくまで私が、香取さんをイメージして順番を並べてみた。



ひとつずつ、少し補足をしたい。
1つめの、「みどりご」とは現在は嬰児と書くが、生まれたばかりの赤ちゃんのことだ。本来は「緑児」と書かれており、シャレではないがまさに、みどりのこ、だ。香取さんは、番組で外へロケに出ている印象が強いが、香取さんが外を歩いていると、「人が木が」話しかけてくる光景がしっくりくる。香取さんはそこにいるだけで、人は自然と笑顔になり、話しかけたくなるようなたたずまい、親しみがもたれるような気がする。


2つめは、恐る恐る自分の足で、「芝生」を「初めての靴」で歩く姿だ。「みどりご」の時期から、すくすくと成長していく過程、初めて自らの足で進む姿がうかがえる。そして、抱っこやおんぶという親の介助なしに、自らの足で歩き出す、わが子を見守る親の目線がある。


子ども子どもだと思っていた大人たち、SMAPメンバー、仕事仲間、香取さんの成長を見守る周囲の思いなども、ここにリンクするのではないかと思った。小さいの頃から知っている子が、一人で歩けるようになった日が来ると思わず感動してしまうだろう。実際は、比喩的に読んでほしいが、たとえるなら、香取さんがメンバーの背中にくっついていた姿が、いつしか仕事で一人立ちできたといった状況のときだろうか。


3つめは、書名である「たんぽぽの日々」のベースとなった短歌だが、これは、俵さんの独自の言い回しのようで、地面に根を張っているのは母親で、たんぽぽの綿毛を、たんぽぽの子どもたちと例えている。子どもと一緒にいられるわずかな期間を「たんぽぽの日々」と言い、「綿毛になって飛んでいったらもう、あとはただ、風に祈るばかり」としている。独立する子どもを見守る、親の目線がここにある。俵さんはシングルマザーでいらっしゃるので、根を張っているのを母親としているが、これは「親」という見方でいいのだと思う。


たんぽぽは、綿毛が飛んでしまったあとは黄金色だった日々が嘘のように、緑しか残らない。香取さんは飛び立つ綿毛のようでもあり、根を張って見送る大人側にももう足を踏み入れている世代だ。すくすくと成長し、一人の大人として磨きをかけられている。


そして、香取さんがスペシャルMCを務める、NHKののど自慢にもからめて、最後の1首を紹介したい。

のど自慢の鐘なら幾つ鳴るだろう
叱りすぎたか甘やかしたか


これは親自身が、子の叱りかたや褒めかたを内省する短歌だ。のど自慢の鐘は、残念!といわんばかりのマイナス評価ともとれるが、誰もが知っている親しみやすい鐘の音ゆえに、失敗の全否定というのではなく、あちゃーと膝から崩れ落ちるような、ちょっとコミカルな笑いにできるような面もある。


先の3首で、みどりごから一人立ちするまで成長し、そして、もっと年齢を重ねて、末っ子だった立場からいつしか後輩ができて社会的信頼も高まり、のど自慢の鐘が「カーン」と鳴るような、誰かに何かを伝えるために失敗を苦笑いするような時間も当然迎えてきただろう。


ちょっと話はそれるが、香取さんはMCの立場上、のど自慢の鐘が鳴っても出場者が傷つかないように、気持ちよく席まで戻ってもらい、会場を後にすることにも配慮しているのだろうと思う。あの鐘の音が冷たく響き渡り、心に影を残さないよう、楽しかった思い出という「光」を照らす役割を果たしている。


今日の短歌の紹介は、お花よりは植物メインとなってしまった感はあるが、香取さんのことを思って選んでみた。特に、短歌の文字数が凝縮された表現方法は、無駄な言葉をそぎ落として喋る香取さんにとてもフィットするような気がして選んでみた。


こうして、子ども成長記録のような短歌を香取さんになぞらえて並べてみると、香取さんは成長過程を社会にずっと見せてきた、観られてきたんだなとつくづく思う。まるで社会全体が保護者のように、香取さんが大きくなっていくのを見守ってきたような気すらする。ファンでない私ですら、あんなに小さかったのに、香取さん大きくなったなぁとしみじみするくらいだ。



短歌にしても詩にしても、誰かの言葉を借りて、SMAPという大きな存在を表現するのは、自分の文章でつらつら書くよりずっと難しい。ただ、自分の言葉では表現しきれないものも伝えられるので、探す作業はわりと楽しい。他のメンバー3人も、またいつか書ければいいなと思う。


それではコラボブログのバトンを、凪さんに渡します。


では、また。