こんにちは、検索迷子です。
ここ最近、#私の_世界に一つだけの花 をテーマに書いて、次は、SMAPの誰に向けて書こうかと考えていたところ、今日は特定のメンバーではなく、SMAPとファンのかたのつながりがイメージできる、詩と短歌を見つけたためご紹介したい。
ちなみに以前は、(12)草なぎ剛さんに、いちめんのなのはなをと、(14)香取慎吾さんの、みどりごのような笑顔を書いている。
一つ目は、沈丁花が含まれているものだ。つい先日、SMAPをからめることなく、沈丁花の詩を紹介したが、それ以降に見つけたものだ。
『詩集 若葉のうた―孫娘・その名は若葉(増補版)』、
金子光晴(かねこ・みつはる)さん著、勁草書房、1986年12月刊より、「春」を紹介したい。
- 作者: 金子光晴
- 出版社/メーカー: 勁草書房
- 発売日: 1986/12/20
- メディア: 単行本
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春
金子光晴
小さな手が、春をつかむ。つかんだ春をすぐ口にもっていって、なめる。
春は、どんな味がする? 若葉よ。
ママに抱かれてはいる大好きなお湯(ぶう)のように、
春はとろとろとあたたかくて、それに沈丁(ちんちょう)の花の匂いがたかい。
下の歯ぐきからのぞいた二枚の白い歯が、若葉のはじめての春にそってさわってみる。そっと。
それからまた、小さな手は、石鹸(しゃぼん)のように浮いている雲を、
光を、海を、大きな未来を、しっかりとつかむ。おもちゃの金魚といっしょに、
若葉がはなしたら、ばらばらになるかもしれない
家じゅうのみんなのこころの糸を。
引用注)本書中のルビは、()で表記しました。
なお、沈丁花は、じんちょうげ、ちんちょうげの読みのどちらも正しく、この詩では、ちんちょう、とルビがふられていた。
少し詩の補足をすると、若葉とは、金子光晴さんの孫娘さんのお名前だ。生まれたばかりの赤ん坊に対して、好々爺ぶりを詩集一冊分に表して、そのなかの一編と見ることもできるが、最後の2行にどきりとしたのだ。
お孫さんは6月に生まれ、春を初めて知ったときに作った詩なのだろうか。沈丁花の香りも初めての経験だろう。生まれたての命、まだ未知なるものが多い可能性を秘めた人生、活力がみなぎる様子に、微笑ましい光景だと読み進めていくと、最後に、
若葉がはなしたら、ばらばらになるかもしれない
家じゅうのみんなのこころの糸を。
と、くる。
この2行を見るまでは、私はこの詩の「若葉ちゃん」を、SMAPの末っ子の香取さんでイメージしていたが、最後を読んで、これはSMAPのメンバーそれぞれにも、ファンにも通じるものがあるような気がしてきた。
単純にいうと、そのとき一番生命力があふれ、あきらめずに前を向いている存在が、手を放すまいとしているんだと思った。それが小さな手であっても、全員のこころの糸をしっかりとつかんでいるんだ、SMAP5人だけでなくファンをも、どこかで誰かがばらばらにならないよう、つなぎとめているんだと思った。
そのエネルギーを持つ、「若葉ちゃん」の役割にあたるキーパーソンは、リアルな場面では一人ではないのかもしれないと思うようになった。それぞれが、前向きになったり、落ち込んだりしても、そのとき一番生命力を持つ元気な人に牽引されるよう、つながり続けているような気がしてきた。
誰かが糸をしっかりつかんでいる姿に胸が打たれ、こころの糸を放すまいと思いながら、時折、役割交替をしながら、とにかく、ばらばらにならないことだけに夢中なのかもしれないと思えてきた。
でも、本当に手を放さないようにしているのは、命をきらきらさせる「若葉ちゃん」ではなく、「若葉ちゃん」を冷静に見守る側で、やはり一人ひとりが、こころの糸を放すまいと気持ちを強く持つことが大事なのだとわかる。
次に、2首短歌を紹介する。
『俵万智の子育て歌集 たんぽぽの日々』、俵万智(たわら・まち)さん、小学館、2010年3月刊より。
- 作者: 俵万智,市橋織江
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2010/03/18
- メディア: 単行本
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以下に2首、私が選んだ短歌を紹介する。
まずは、1首め。
親は子を育ててきたと言うけれど
勝手に赤い畑のトマト
どんなに手をかけて、思いを寄せて、心を砕いたとしても、命あるものはやがて自らの命で輝きを放つ。ファンのかたには、SMAPが10代の頃からや、若くて、青くて、とんがっている時代も見守り、その成長・発展過程をを長年見守ってきたかたも多数いらっしゃるだろう。
でも、その距離感が永遠にファンのままでいると、真っ赤に実った姿が誇らしくもあり、でも自分の手だけでこんなに立派になったわけではないんだという思いに、少しの淋しさを感じる瞬間もあるのだろうかと想像して、これを選んだ。ファンでいるということは、俵さんの子育てを表現した短歌に通じるものがあるような気がしたのだ。
最後に、もう一首。ファンのかたの愛情表現の形を端的に言い表したものだ。
自分の時間ほしくないかと問われれば
自分の時間をこの子と過ごす
そして、それでもファンのかたは、ずっとこう言ってSMAPを応援するのだろうと思う。お花でも野菜でもない短歌で今日は締めくくるが、これはファン心理の究極な形のような気がしている。ファンに限らず、愛するもののために、惜しみなく愛情を注ぐという気持ちの表れとして、有限な時間を、やりくりが可能な限り使うというのは、最上級の愛情表現だと思う。
今という時間を、今見つめ続けることが何よりもかけがえがなく、たいせつなものだと本当に思う。こころの糸を放さないでいるのは本当に難しいことだと思う。リアルにそれほど会える存在ではないだけに、気持ちを切らさないでいられる、そこに深い愛を感じる。
と、最後はお花や植物から脱線したが、以前、(2)SMAPとファンは、もはや一つの組織で書いた、SMAPファンのかたへのリスペクトを、今日はまた違った形で表現したいと思って書いた。
ファンでいることは喜びだけではなく、時に心痛が伴ったり、持久戦の要素もある。SMAPから、楽しみだけを享受しないで、苦しい時期も含めて、ともに生きようとするファンのかたにはいつも驚かされる。
私はこうして、ファンのかたが書きそうもないような違った文章のかたちで、SMAPやファンのかたの素晴らしさを伝えていくしかできないが、こういう話題がいっときの気分転換になってくれればと思う。
では、また。