(21)木村拓哉さんが語った蜷川幸雄さんへの思いと、『夜空ノムコウ』

こんにちは、検索迷子です。


今日は、木村拓哉さんのラジオ『木村拓哉のWHAT'S UP SMAP 5月27日放送分』について、感想を書こうと思う。


1月以降、ずっと木村さんのラジオをできるだけリアルタイムで聴いてきた。それは、1月以降のSMAPをとりまく環境の変化で気になっていたのもあるが、それだけではなかった。


私は、昨年の木村さんの誕生日に書いた草なぎ剛さんと木村拓哉さんでも触れたが、1998年くらいに木村さんのファンで、当時は欠かさずラジオを視聴していた時期がある。


今年、久しぶりにラジオを聴くようになり、木村さんのラジオならではのテンションに懐かしさを覚えたり、お腹の底から出しているような声に、昔よりも声に張りが出ているような気がして、ずいぶんと長いブランクがありながら再び聴くようになった。失礼な言いかたを承知で書けば、トーク内容よりも、とにかく声を聴くだけで力がわいてくる気持ちになるような声に、強い生命力と温かみを感じる。

蜷川幸雄さんとの思い出

と、ラジオでの声の話題をどこかで書こうかと、数か月漠然と考えていた。そんななか、これは書き残したいと思う話題を木村さんがこの日していた。それが、蜷川幸雄さんが亡くなったことに対する思い出を、というリスナーからのお便りをきっかけに木村さんがした話だった。


つい先日、私と変則的にコラボブログを書いている、「剛 しっかりしなさい!」のブログ運営者である、凪(なぎ)さんが、コラボブログではない形で、蜷川幸雄さんを書かれていた。この時点では、私は蜷川さんの舞台の観劇経験もないし、木村さんが出演された『盲導犬』の舞台のエピソードも、知っていたものの特別な感情はわかなかった。


でも、そんな私が、ラジオで木村さんが語った話の後半にぐっと引き込まれた。それは、木村さんが蜷川さんとの思い出話をしたあとに、曲をかけようとして、しばらくどんな曲がいいかと考えて、「僕の中で、こういう存在だったなっていう曲、たまたまうちらの曲で、”これかな?”っていう曲があるので、”蜷川さんは俺にとって、こういう曲の人でした”という、『夜空ノムコウ』を聴いてください」と言ったことだった。

夜空ノムコウ

夜空ノムコウ


このあと、『夜空ノムコウ』を聴きながら、しばらく放心状態になった。正直なところ、木村さんがここで『夜空ノムコウ』を選曲するとは思わなかった。それで、あらためて木村さんのトークを振り返り、なぜ木村さんはこの曲を選んだのか考えてみた。


木村さんはどの歌詞が、どんな風に思い出と結びついているといった話はしていない。でも、木村さんなりに、この曲をどう受け止めているか、わかるような話をしていた。


蜷川さんの訃報にふれ、「嘘でしょ」と事実を受け入れがたい気持ちになり、「蜷川さんが亡くなってしまったことを誰かと話さないと落ち着かなくて」という動転した気持ちで亀梨さんに連絡をとったことも、木村さんが誰かの死を前にして、こういう気持ちになり、それをラジオで話されるんだなと思ったりした。木村さんから、「落ち着かなくて」という言葉を聞くとは意外な感じがした。


そして、お通夜に参列してやっと現実を受け入れたこと、でも蜷川実花さんが撮影した遺影の写真を見ながら、「何かを喋り出すことはないんだけど、あの遺影を見てるとてると『おまえ、まだまだだな』と言われてる気がして」というように、心のなかで蜷川さんと対話し、自分へのだめ出しを受け止めるような心持ちになったのだろう。


そして、木村さんは事務所からのコメントでも発表した内容でもある、17歳当時の初めてのお芝居、台本、拍手をもらうことの凄さや厳しさと、初めて尽くしを経験し、これをやっていこうという意識が芽生え、その経験が今の仕事につながっているという話をされていた。そこに導いてくれたのが、蜷川さんだったと。


当時はSMAPが結成される前で、木村さんは芸能界も仕事もなめていたという話もしていた。今では責任感の塊のような木村さんにも、そういう時代があったのかと、振り返る木村さんの声を聴きながら、木村さんが、蜷川さんとの出会わなければ、もし木村さんが言ったようにどこかの古着屋さんの店員になっていたら、日本の芸能界の歴史が変わっていたんだと思うと、木村さんに役者として息吹を吹き込んでくれた蜷川さんの偉大さをあらためて感じる。


蜷川さんの指導にしっかりついていき、あらゆるものを吸収して、舞台を成立させ、拍手を浴び、それから26年経った43歳の今の木村さんにつながっているのだと思うと、人一人と出会うことのかけがえのなさに、胸がぎゅっとなった。


でも、木村さん自身は『おまえ、まだまだだな』と言われているような気持ちを今でも持ち、さらに自分を鼓舞し、高みを見ていく意識を持っている。たぶん、世の中が持つ木村拓哉のイメージの、もっと上に行こうとしている。


蜷川さんとの「いつかまた一緒に仕事をしよう」という話は叶わなかったが、木村さんは蜷川さんの逝去という事実を受け止めたときに、「ぼくの心のやわらかい場所を 今でもまだしめつける」ような思い出深いメッセージがいくつも浮かび、そして、「あの頃の未来に ぼくらは立っているのかな」という、今の自分はどうですかという問いを、心のなかで蜷川さんと話していたのかもしれない。


「何かを信じてこれたかな」といういくつもの問いを投げかけながらと、明日という未来を閉じてしまった蜷川さんに、「夜空ノムコウには もう明日が待っている」という思いを持って、明日を生きる人間としての魂を受け取る役割を引き受け、希望を明日につないで生きて行こうという気持ちを、より強く持ったのではないかと、木村さんの話を聴きながら感じた。

歌をどう解釈するかは、その人が決めていい

私が、この日の木村さんの話と選曲に心を打たれた理由は、もう一つある。
それは私自身が、SMAPさんの『夜空ノムコウ』を歌う(8)SMAPの「夜空ノムコウ」を歌い継ぐ景色
でも書いてきたが、来月、ライブハウスでこの曲を歌うことになったことが大きい。


半年以上、何百回もこの曲を歌い続けて、ちょうどいま、『夜空ノムコウ』って、いい歌だと思ってきたけど、本当はどんな歌なのかと、えんえんと考えている時期なのだ。


人前でこの歌を歌う意味ってなんなんだろうとか、なぜ自分はこの曲を選び、何を伝えたいんだろうとか、プロではないなりに、せっかく人に聴いてもらうなら、何か一ミリでも伝えたいと欲が出ている。だから、歌えば歌うほど歌詞の意味の解釈が違っているのではとか、抑揚のつけかたがこうじゃないとか、SMAPってそもそもどういう気持ちで歌っているんだろうかと、何度も考えている。


曲を聴き、自分で歌い、軌道修正して、そのプロセスを通して、自分がどうして数ある楽曲のなかでこの歌を無意識に選んだんだろうかとか、人前で歌おうと思う恥ずかしさ以前に、自分が自分の心の中を丸裸にしていくような、不思議な感覚を味わっている。自分にとって『夜空ノムコウ』って何なのだろうという問いを、最近ずっと繰り返している。


そして、木村さんのラジオでの話を聴いて、少し目の前が開けたような思いがした。それは、自分がそのとき、感じたままに歌詞を受け取り、音楽の世界観に身を委ねていいということを改めて教えてもらえたことが大きい。


木村さんは『夜空ノムコウ』をいろんな番組や、いろんな場面で歌っているだろうから、この曲が常に蜷川さんの思い出とだけ結びつくわけではないだろう。それでも、木村さんがもともと好きな曲だと言っているこの『夜空ノムコウ』の、一つの受け止め方を伝えてくれたことは、とても意味が大きい時間だった。


もともとこの曲は、作詞をしたスガシカオさんが言っているように、登場人物を特定していないことの良さがある。歌を聴き手に委ねているから、恋愛の歌ともとれるし、友人同士とも、自己との対話ともとれる。


そして、木村さんは蜷川さんのご逝去にあたって、蜷川さんの存在をこの歌詞に投影した。こういう、たいせつな存在を象徴するような歌として紹介は、とても素敵なことだと思った。そして、この曲をかける前にそれを丁寧に話してくれた木村さんには、本当にこの人は、言葉で人に何かを伝えて感動を与え続けてきた人なんだなと、あらためて素晴らしい人だと思わされた。


木村さんが蜷川さんの存在を重ねて、今時点で『夜空ノムコウ』を選曲したように、私には私なりの『夜空ノムコウ』を歌おうと思った理由があり、伝えたいものがあるのなら、それを木村さんのように素直な気持ちで表現したいと思った。


こんなに長く、一つの曲と向き合ってきたことはなかったかもしれない。でも、何度歌ってもあきない。それどころか、もっと深く知りたいと思うのが、『夜空ノムコウ』という曲なのだ。


何よりも『夜空ノムコウ』が好きだから歌いたいのだし、その歌う時間をたいせつにしたいと、ごくシンプルな結論に半年かけてやっと行きついたような気がする。下手でもいい。自分にとってたいせつな歌を、たいせつにしているという気持ちを精一杯伝えられるよう、本気で歌おうと思う。

木村さんの記事について

木村さんの記事は、
(4)木村拓哉さんの自己犠牲の精神以来、久しぶりに書いた。
この時の記事は、多くのかたに読まれ、たくさんの木村さんファンのかたにTwitterでもフォローしていただいた。なのに気がつけば5か月、木村さんの話題を書いていなかった。


私も多くの木村さんファンやSMAPファンのかたのように、木村さんの存在を感じられるメディア露出が少ないのが、だんだん淋しいと思うようになっているのかもしれない。だから、毎週金曜日、木村さんの声を聴いて、ああ、今週も木村さんが元気な声で良かったと安心し、私も元気でいようと思ったりする。


今回みたいに、関節鳴らしの音披露とか、笑いがある話題でのリラックスタイムの後(エロトークの後でなくて内心ほっとしたが)、いきなり蜷川さんの話題となり、『夜空ノムコウ』の選曲に、はっとさせられて、もう、この気持ちは書き残さなければという思いになった。こんなふうに、「このときの木村さんは書き残さなきゃ」という思いをもっとしたいと思う。


木村さんのラジオ番組での、心情を語る言葉選びを慎重にしている間合いとか、誠実な話しかたとか、深みのある声が直接聴けるということが、どれだけ人の心に灯りをともすのかということを、一度書きたいと思っていたが、今日はそれが叶って自分でも嬉しい。特に金曜の夜をゆるりと終わらせるのではなく、がつんとエネルギーチャージをするような時間になるので、未視聴のかたはぜひラジオを聴いていただければと思う。


では、また。

コラボブログの主旨

ブログ主旨については、下記にリンク先を掲載している。
【コラボブログ:SMAPとココカラ】(2)SMAPとファンは、もはや一つの組織の最下段、【コラボブログ:SMAPとココカラ】(4)木村拓哉さんの自己犠牲の精神の序盤で紹介している。