(33)SMAPの歌う『三日月』に手を伸ばす

こんにちは、検索迷子です。


今日は、8月15日放送のスマスマのS-liveで、絢香(あやか)さんの『三日月 2016年ver.』を歌ったSMAPについて触れたい。

三日月

三日月

THIS IS ME ~絢香 10th anniversary BEST~(CD3枚組+DVD)

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先日の解散報道直後、これがSMAPが選んだ『夜空ノムコウ』ならを書いて、あらためて自分がブログで書く話題は、これまでのトーンでいいのだろうかと考えた。


ミクロな話題を主観でレビューし続ける内容を、今までと同じように書き続けることが、果たして今やることなのかという思いもあるが、ぐるっと一周して、それでも今日はこの話題を書きたいと思った。


SMAPの解散報道以降、メディアに左右されず、信じられるものを信じ続ける、強い自分でありたいと思っている。


広告収入がビジネスモデルの媒体は、反響狙いの記事が加速し、なかなか良質な記事には出会えない。真実にたどり着けない。


こんなときだからこそ、私は自分の信念を貫き、SMAPの素晴らしさを書くことに集中したい。


怒りや憎しみをダイレクトに言葉にするよりも、その思いにふたをして、明日への希望をつなぎ、誰かを癒したり、笑顔にしたい。


ぐっときそうな思いを抑えて、それでも、それでも、手招きするかのような負の言葉の洪水を自ら浴びにいくような場所には、絶対に行かないぞと踏ん張るのは、そっち側に行くよりも時にしんどい。でも、行かない。


SMAPの美しさを、一つでも多く記録する。
今しかできない、今だからできることは、それだけだから。


言葉のナイフが降り注ぐなか、たった一人でも幸せにできる、盾でありたい。たとえそれが、もろくて薄い盾だったとしても、誰かを救おうと全力を尽くしているんだと伝えたい。

楽曲の世界観と、息遣いの驚き

この『三日月』のライブ、今のSMAPとシンクロするかのような歌詞に、感動したかたは多いと思う。絢香さんの素敵な歌声、せつなくなるような歌詞、三日月が水面に浮かぶ素晴らしいセットなど、とてもいいライブだったと思う。


『三日月』の歌は、実際には、恋人同士の別離を描いている恋愛ソングといえるような歌詞だ。別れのつらさを抱えたなか、消えそうな三日月を見て、唯一無二の「月」によって、空のもとでつながっていることを励みに、強くなろう、がんばっていこうとする決意の歌だ。


歌そのものの世界観も良かったが、私は、これまでも行ってきた、SMAPの歌声に着目した内容を書きたいと思う。


私はSMAPの声、声の重なりに興味があって、歌の感想をいくつか書いている。
SMAPが『糸』で織りなした声
SMAPさんの『Otherside』の重なる声
SMAPさんの『雪が降ってきた』の息遣い


どうしてこんなにSMAPの歌声が好きなのかと考えると、それは、SMAPの歌、特にバラードのように息遣いがはっきり聞き取れる歌には、サプライズがあるからだと思う。はっとさせられてしまうのだ。


私自身、趣味でボイトレをするようになって、歌声、特に息遣いには、音を発声する直前にわきあがった感情が、もろに乗ってしまうということがわかってきた。


ちょっとわかりにくいだろうが、一曲を通して歌っている時、次は高音だからしっかり出そうと頭で直前に考えると、欲が出た分、かえって不自然に声が裏返ってしまったり、それまでの歌声とずれていくことがある。


また、緊張しすぎると、喉が締め付けられたり、声がかすれたりすることもある。それは、ひとえに、直前に何か感情が入っているから、息を吸って、吐いて声にするときに、その思いがダイレクトに乗った息遣いになるのだ。


もっと単純に言うと、明るい声を出そうと思っているときは、よし、高めの声をだそうと、直前に心の準備をするだろう。怒りたいときは逆に、低めの声でしゃべろうと直前に思ったり、あるいは無意識にそんな気持ちを作っていくだろう。


でも素人はプロと違い、感情と声のバランスのトレーニングをする機会は少なく、思いと結果が結びつかず、失敗することもあると思っている。


SMAPの歌の凄さは、この、歌の世界観、あるいはご自分の思いや解釈のしかたを、息に込められる、アウトプットの精度が極めて優れた、表現者としてのパフォーマンスの高さにあると思っている。

『三日月』でのソロパート

SMAPがソロ、またはユニゾンで歌った順番に感想を書きたい。
私は音楽のプロではないため、あくまで主観のみで専門用語も使えないが、それでもこの歌の場面をどうしても表現したくて、がんばって書こうとしているのをご了承いただきたい。


まずは中居さんの歌声だが、ものすごく鼻への音の響きが深くて、一音一音がはっきりと聴こえる、本当に素敵な声だった。地声に近いような深くてしっかり声で、絢香さんのせつない声に重ねて歌うことで、男性味が際立つようないい声だったと思う。


なかでも、「かかえて」「見上げて」の語尾、「えて」「げて」の力強い音に人を包み込むような温かみがあった。


そして、「あなたを」の部分の「あぁなたを」と入りかた、「思った」の語尾を、「おーもぉーたぁっ」という音のように、特に最後の、まるで破裂音のように、思いっきりはじき出した息にびっくりしてしまった。中居さん、こんな息の出しかたをするんだと驚いた。


この箇所、さらりと語尾の息をカットするように、ぽつりと歌い終えることもできる音だと思っていた。だから余計にこのときの中居さんは、誰かを思いを馳せて、この箇所を歌ったのではないかと想像してしまうくらい、何かこみ上げるものが、この最後の息にあふれ出たのではないだろうか。それくらい、息の量と強さを感じる声だった。


次に、稲垣さんと草なぎさんのユニゾン箇所。
ソロがお二人ともなかったのは残念だが、意外な発見もあった。この二人の音の重なりの見事さには、なんと癒し効果が高いのだろうということと、お二人のせつなさを表現するときの声が似ているということだ。


お二人の声の重なりを最初に意識したのは、『夜空ノムコウ』の「だれかの声にきづき」の箇所だったが、あの頃はまるで違う声質、失礼ながら重なりきっていない声だったような気がする。


それが最近、ストスマ、パワスプのラジオを聴きながら、お二人の声が似ていて、あれ今喋ったのは誰? 思う瞬間がある。自己主張をしすぎない控えめな発声なのかどうかわからないが、歌やお芝居などで、息の吐き出す濃度(という言いかたはしないですが)が、なぜかとても近くなっているようで、今回も聴き分けるのが難しかった。


でも、稲垣さんの「cry」の箇所は、「くらぁあーい」と後半に向かっての伸びがとても美しく、絢香さんの歌以上に美しいと思える声だった。まるでミュージカルを観ているような雰囲気で、肉声で声を届けているかのような力強さ、マイクを少し持ち上げる立ち姿に気品すら感じた。


そして草なぎさんは、「がんばっているからねって」という言葉が、しみじみ心に入ってくるような、静かな、でも熱い思いを感じるような歌いかただったと思う。自分の気持ちを押し付けるような息ではなく、自分の内面に語りかけるような、でもきちんと聴き手を意識したような、柔らかい声が良かった。


草なぎさん、歌詞がシンプルであればあるほど、その柔らかな息で、聞き慣れた言葉をあらためて咀嚼させてくれるような歌いかたをするように思う。言葉を軽くトスして、聴き手も一度はふわりと受け止めたけれど、あれ、なんだか結構深く胸に入ってきたよ、というような、不思議な効果が生まれる息遣いをするかただなと思う。


次に木村さんのパートだが、この日の木村さんの歌いかた、声量も語尾遣いもとても抑制された息遣いをされていて、その抑えた声量からにじみ出るものが、ある意味とても新鮮だった。


「抱きしめ」とか「愛してる」という、熱い思いを伝える歌詞があったにも関わらず、このときの木村さんは、カーンとかっ飛ばすような歌いだしでもなく、思いを存分に乗せたような語尾でもなく、抑えて抑えて、そこからにじみでるような、いつもよりも短めの語尾と息を出していたように思った。


特に後半の、「愛してるのひとこと」が、「はぁいしてるの、ひとことぉ」と聴こえるような音で、少し息を漏らすような音を効果的に使い、柔らかくなった息に思いをこめた歌いかただったと思う。


ふだん聴いている木村さんの声や歌には、力強い印象を持ちがちだが、息の量を変えるだけで、ここまで柔らかく、いとおしさやせつない思いが表現できるのかというくらい、いい声だったと思う。


書きながら、木村さんが歌ったパートは、現在進行形で目の前にいる相手に思いを伝えるではなく、もう会えないかもしれない人に、いつかは会いたい希望を持ちながら、過去を懐かしむ場面の歌詞なんだと気づいた。木村さんは、この短いフレーズのなかに、その風景が浮かぶような、主人公の思いを汲んだ歌いかたをしたのかもしれないと思った。


あと、木村さんの歌割りは個人的には、この歌詞全体のなかで、少し世界観を変えるようなキャッチーで木村さんが好きそうな単語の、「それまでの電池は」を入れてほしかったと思った。


最後に、香取さんのパートについて。
この歌、すべてはここにいる香取さんを見守る、近親者による励ましなのではないかと思うくらい、香取さんの歌声に行きつくまでの4人の残り香がこもったようなパートだと思った。


ソロを歌い終えた4人の、いろんな思いが積み重なって、ぎゅぎゅうに詰めこまれ、それがラストの香取さんに送り届けられたかのような場面で、香取さんは一瞬、息が揺れていた。


「cry」の部分、「くらぁぁい」と「ら」から、小さく息が揺れている。香取さんは発声がしっかりしているかたで、音程もしっかりとれる印象がある。だから、音を外したとは思いにくい。


この小さな「あ」の音の揺れは、息が揺れる前に心が揺れてしまい、うっかり思いが漏れ出たかのような息だった。そのあとの、「もう泣かないよ」という歌詞でこみ上げそうな思いを、なんとか抑えようとしたようにも聴こえた。そして、ぐっとこらえて、なんとか「もう泣かない」にたどりつけたような、そういう微妙な音なのだ。


前出の稲垣さんと同じキーで、同じ歌詞を歌っているとは思えないほど、自分のなかの何かと向き合っているかのような、とても繊細な歌いかたをしている。


でも、そのあとの香取さんはさすがにプロで、気持ちを立て直したのか、いつも通りの声量がしっかりある歌いかたになっている。この前半と後半の息遣いの違いが、本当に印象深かった。


香取さんほど声量があるかたに、あえて、このせつなさが積み重なりつつも、前を向いて歩きたいという意志を固めるパートを持ってきたことが、ものすごく楽曲の世界観を引き出していた。


この声量だからこそ、息の揺れも際立ち、抑制した思いが最大限に表現されて、ここは香取さんにしかできない声での思いの伝えかただと思った。なんとなく、「STAY」の香取さんのラストの熱唱を思い返して、あの歌割りも同じような効果を狙ったのだろうかと考えた。


全員のユニゾンについては、今回のこの曲に限らず、もう少しまとめて書きたいと思っているので、後日別記事にしようと思う。

ブログにしかできない、SMAPを記録する意味

パフォーマンスの感想記事を書く際にいつも、文字だけではわかりにくく、動画があれば伝わりやすいから、あえて書かなくてもいいのかなと葛藤する。でも私は、知的財産管理の国家資格も取得していて、著作権侵害に関わりそうなことはどうしても避けて通りたいため、つたない言葉でも文字化して伝えようと試みている。


長期的に見れば、映像だけでは逆にわかりにくいことを、こうしてブログで感想を文字にしているほうが検索されやすいという、過去の記事からの手応えも感じている。


一年前、SMAPのことを書き始める前、1人でネットでSMAP話題をチェックしていたころ、ライブレポなどではない、日常のSMAPのパフォーマンスや、ささいなシーンを切り取ったミクロな話題を、あえてこってりと語ったブログって数が多くないんだなと思っていた。ファンが多い、長年活躍しているグループなのに、SMAPのことを継続して文字化しているブログが少ないというのは、意外な発見だった。


誰も書いてないんだったら、私が知りたいから自分のために、SMAPの素晴らしさを記録し続けようと思ったのがが、SMAPを書き始めるきっかけとなった。そして、100以上の記事を書いてきた。今ではファンのかたたちが読んでくださるのも意識しているが、ここまで続けてこれたのは、何よりも自分がSMAPのことを深く知りたくて、感想を形に残しておきたいと、自分が楽しいから書いている。


今日のこの『三日月』のパフォーマンスも、確実にネットに記録されていく。そして誰かに読まれていく。中身の上手い下手ではなく、どんなに駄文でも、とにかく書いて残すことの意味を、今とても感じている。


SMAPと同じ三日月が見られる、同じ空の下の、今、このときを生きていることに感謝したい。


同じ日の、同じ三日月に手をのばせる時代を生きている。
そう思うだけで、強くなれそうな気がする。だから、届けたい思いをしっかりと叫んでいこうと思う。


では、また。

コラボブログについて

今日は、「剛 しっかりしなさい!」のブログ運営者である、凪(なぎ)さんのコラボブログ 【SMAPとココカラ】(32) それが痛みでも を受けて、コラボブログ第33回として書いた。


主旨について
ブログ主旨については、下記にリンク先を掲載している。
【コラボブログ:SMAPとココカラ】(2)SMAPとファンは、もはや一つの組織の最下段、【コラボブログ:SMAPとココカラ】(4)木村拓哉さんの自己犠牲の精神の序盤で紹介している。