草なぎ剛さんの『これが僕です。』の言葉(6)

こんにちは、検索迷子です。


連続して草なぎさんの書籍から、自分が
気になる話題を抜き出し紹介してきたが、
6回目の今日が最後となる。


今日取り上げるのは、本書の最後に掲載
された、スタッフの死を悼む内容だ。


年末に紹介するのがふさわしいかどうか、
若干迷いもしたが、草なぎさんが人の死を
悼む言葉というのは、著名となって発言に
注目が集まる今では、なかなか見ることが
できないものかもしれないと思っていて、
あえて紹介しようと思った。


本書を複数にわけて紹介しようと思ったのは、
この最後の文章が他と違った空気感を持って、
その違いを伝えたかったからかもしれない。
今日の文章を紹介したいがゆえに、ここまで
書いてきたのだと思う。


23歳の草なぎさんが書いている文章は、
内容も荒削りで、ぽんっと飛躍する突飛な
思考や、文体に自分でボケ突っ込みをする
ような少年性がある。


でも、この最後の文章は、草なぎさんが
言葉選びに四苦八苦しつつ供養の思いを
書き残したくて書いた一文だ。
少年性のある文体ながらも、揺るがない
魂の部分が浮き彫りになる文で、これが
草なぎさんの素直さを端的に表している
ような気がしたのだ。


また、発売当時、すでにアイドルで活躍
するある存在でありながら、本の最後に、
明るくハッピーでみんながんばろうよと
いう内容でなく、この話題を持ってきた
意外性にもガツンと打ちのめされた。


並び順は、編集意図があるかもしれないが、
言葉を綴り、書籍という形に残すことを
大事に考えているからこそ、一見私的な
感情とも言えるこの文をカットせず、
素直な思いのままに記録されていることに
意味を感じる。


1997年4月刊『これが僕です。』、
草なぎ剛さん著、ワニブックス刊より。
ラクちゃん、ありがとう」を取り上げる。

これが僕です。

これが僕です。


なお、この文だけはどこのパートにも
属せず、目次にも見出しがない。
本書を頭から読み進めて、最後になって
不意打ちのように目に飛び込んでくる
作りだ。いかにこの文章が、他の文章と
風合いが違うのか、その点でもわかる。


文は、「生きてるからさ、寂しくもなるよ、
聞いておくれよ羊たち」と羊への語りかけ
から始まる。


海外の初CM撮影だった、ニュージーランド
の帰りの機中で書いた文は、羊の話で始まり
一見楽しそうなエピソードかと思いきや、
今回の旅がいつもと違い、その理由である、
同行予定だったSMAP専属ヘアメイクさんの、
ラクちゃんが旅の直前に亡くなったことに
触れている。


お名前も書いてあるが、引用を控えるが、
8年間ともに頑張ってきた仲間で、
ラクダに似ていることから、
「こんな挙げ足的なネーミングを考えた
奴は他でもない、日本一挙げ足取りが
うまい、SMAPのリーダー中居君だった」と
紹介している。


余談だが、草なぎさんの文には亡くなった
原因は書いてないが、中居さんがラジオで
過去に語っているのをネット上で見ると
事故による急逝だったようだ。

ラクちゃん、ありがとう


(前略)
「生きてるからさ、寂しくもなるよ、聞いておくれよ羊たち」
 僕は、ニュージーランドで見かけた羊の数だけ、ラクちゃんのことを思い出した。ラクちゃんは、ニュージーランドに行く数日前に、天国に行ってしまったのである。
 こんなことを言ってしまうと人間として最低だが、あまりにも身近すぎる”死”で、悲しむよりむしろ滑稽である。あのラクちゃんが死んでしまったなんて、本当に冗談だよ。”ギャグ”だよ。そうでも思わないと、何か、こう、やりきれない気持ちでいっぱいになってしまうのである。

そして、前年にPV撮影でロンドンに行った
際にも触れ、彼と一緒に海外に行くことの
楽しさ、SMAPの保護者的存在であったと
書いている。

 海外にくると僕は、いつものとおり眠ることが惜しくなり、嫌味かと思うほど毎晩毎晩、ラクちゃんの部屋へ押しかけた。僕はどちらかといえば人づき合いが悪いほうなのだが、なぜか夜になるとラクちゃんの部屋に引きよせられた。それはやはり、ラクちゃんの人柄のせいであろう。僕が彼の部屋のドアをあけると、決まってラクちゃんはこう言ってきた。
「つよポン、またかよー」
 少し笑いながらそう言ってくる彼は、決して僕のことを拒もうとせず、逆に僕を受け入れてくれていた。何でもないようなことだが、僕はロンドンであったどんな出来事よりも、そのラクちゃんの一言が楽しくて、妙におもしろくて、なぜかうれしかった。
 今、僕はタイムマシンを使い、1997年3月8日にきている。実はニュージーランドから帰って来てから、約二週間がたとうとしているのだ。わずか10時間とちょっとの機内の中だけでは、この文章を完成させることができなかったのである。
 どのように書けば、たくさんの人々の心の中にラクちゃんが残ることができるのか……。いろいろ書いてみたのだが、やはりラクちゃんに限らず、人間の素晴らしい部分を活字にするということは、たぶん無理なことであろう。だけどせめて、彼の功績を称えるとともに、彼への供養になればという願いをこめ、精一杯書いてみました。それと、このページを開けば、いつでもラクちゃんを思い出すことができるから。
 最後になりますが、スタッフ一同、SMAP一同、みんなが声をそろえて言います。
ラクちゃん、ありがとう”


本書の最後の原稿として、これを機中で
書く約束を編集部としたが、どうしても
書けなかったのが後半、わかる。
書きたいテーマとしては決まっていたが、
人の素晴らしさを活字にする難しさや、
いろんな思いがこみ上げて来て、文章に
できなかったのだろう。


でも、これを書くのをやめなかった。
それが草なぎさんの精一杯の供養であり、
感謝の気持ちの表し方だと思ったからだ。
何より、本の形に残すことで、ページを
開けば思い出すことができるからと、
どんな文章でも、しっかりと形に残そうと
する強い気持ちに胸が打たれた。


この文章の反対側のページには、
ダブルベッドで服を着たまま、話し込んで
居眠りをしてしまっただろう二人の姿が
写真に収められている。
草なぎさんが身体を丸くして、ラクちゃん
の方を向いて気持ちよさそうに眠る姿に、
本当に信頼している人だったことが伺える。


私はこの文章とこの写真を見て、じんわり
してしまった。全く知らないかたでもある
にもかかわらず、この草なぎさんの文章が
ものすごく心にしみた。


草なぎさんが言葉が見つからなくても、
供養のため、どんな形でもいいから本に
残そうとした、慈愛の深さもそうだし、
身近な人の死を受け入れて、哀しみを
乗り越える方法にこんな形があるのかと
いう驚きもあった。


ヘアメイクさんという一般のかたから
すると裏方でお名前も知らない存在に、
こうして感謝の言葉を綴ることにより
最後に光をあてようとする気持ちが、
この文章を書く原動力になったのだと
思うと、これはエッセイというより、
弔辞そのものだなと思った。


草なぎさんが懸命に言葉を選び、人を
敬い尊む気持ちが伝わってくる文だ。
無骨な表現であっても、素直な気持ちが
そのまま人の心に響くのだと、この文は
教えてくれるようなものだった。



最後に、本書より「あとがき」を紹介して、
この6回を終えたい。
あとがきに、!マークがついているところ
からして、ちょっと面白い。

あとがき!


(前略)
 僕にとってこの本はすごくかわいい本ですが、人に読まれなければ、この本はただの本です。どうか、みなさまにかわいがってもらえるよう、僕は心から願っております。
(中略)
 僕は、小さい頃から読書が嫌いで、漢字も知らないし、作文なんかも大嫌いでした。たぶん、昔の学校の先生なんかは「草なぎ(なぎは漢字)が書けるわけねえー!」なんて吠えていることでしょうけど、僕をここまで引っぱってくれたのは、いつもそばにいてくれる人のおかげです。
「僕は知識がなく、勉強のできない子だったので、だから文章を書いてみようと思った」
 なんか最近、そう思う時があるんだよねー。
                          草なぎ(なぎは漢字)剛


人に読まれなければ本は意味がないと、
読者に読まれることを意識する客観性や、
苦手だからこそ文章を書いてみようと
思った、その乗り越えようとする意志は、
芸能人として生きてきたからこそ、身に
ついた感覚なのだろうと思うと、
あとがきの文章一つとっても、深いなと
思う内容だった。


全部で6回こうして草なぎさんの文章を
引用して、正直に言うと言葉の使い方の
独特な言い回しや、カタカナや記号の
多用もあり、入力が大変だった。


でも、自分とはまったく違う言葉選びや、
思考体系のところに手が止まるたびに、
あれ、これはどうしてこんな風に書いて
いるんだろうか、自分が偏った見方を
してないだろうかと、手が止まった分、
気づかされることも多かった。


手書きをしたわけではないが、写経の
ような気持ちで、草なぎさんの思考に
寄り添うような感じがあり面白かった。
当初2回くらいで終わるつもりが、思った
以上に回数が増えたのは、この作業に、
自分が思った以上にはまったからだ。
機会があれば、また草なぎさんの書籍を
取り上げていきたいと思う。


あ、肝心なものを忘れてました。
本書の最後にも一言がありました。


友人に撮ってもらったというポラは、
机に寄り掛かって椅子に逆向きに座り、
椅子の背もたれに裸足をのせている。
そこに以下の一文があります。
「なにはともあれ明日は天気!」


なにはともあれ明日は天気!、
そうやって毎日を過ごせればいいなと
思える、肩の力が抜けた一言で、
くすっと笑ってしまった。
いい終わり方をしている本だ。


過去に5回、同書より以下を紹介した。
よければ、合わせてお読みください。


草なぎ剛さんの『これが僕です。』の言葉(1)で、
おまえと呼ばれなくなった喜びを綴った、
「おまえの痛み」。
草なぎ剛さんの『これが僕です。』の言葉(2)で、
自信と不安の行きかう感情を書いた、
「若者よ!」。
草なぎ剛さんの『これが僕です。』の言葉(3)で、
断れない自分なりに、ここぞという時は
意志をはっきり言ったほうがいいという、
「”NO!”が言えない」。
草なぎ剛さんの『これが僕です。』の言葉(4)で、
特技のバック転をコワイお兄ちゃんたちに
からまれたときの魔法に使っていたという、
「警察官は損をする」。
草なぎ剛さんの『これが僕です。』の言葉(5)で、
捨て猫に接して「強く生きる」ことを考えた
「目かくしをして正義を判断しろ」と、
まえがきで「読み手側の感性に期待する」と
書いていた話題を取り上げた。


では、また。