草なぎ剛さんの『これが僕です。』の言葉(5)

こんにちは、検索迷子です。


今日は、草なぎさんが捨て猫に接した
時間について書いた文章を取り上げる。
草なぎさんが心でつぶやいた、
「強く生きろ」という一言が印象深い話だ。


本書とはまったく関係のない話だが、
この文章を見たときに、
ライブ中のMCで60歳になってもSMAP
やっているかという話題になって、
草なぎさんが中居さんに、
「生きてて! とにかく何でもいいから
生きててくれ! 生きてててくれ!」
と熱心に発言していた映像を思い出した。


1997年4月刊『これが僕です。』、
草なぎ剛さん著、ワニブックス刊より。

これが僕です。

これが僕です。

今日5回目を書き、
次回で本書の紹介を最後にする予定でいる。


過去に4回、同書より、
草なぎ剛さんの『これが僕です。』の言葉(1)で、
おまえと呼ばれなくなった喜びを綴った、
「おまえの痛み」。
草なぎ剛さんの『これが僕です。』の言葉(2)で、
自信と不安の行きかう感情を書いた、
「若者よ!」。
草なぎ剛さんの『これが僕です。』の言葉(3)で、
断れない自分なりに、ここぞという時は
意志をはっきり言ったほうがいいという、
「”NO!”が言えない」。
草なぎ剛さんの『これが僕です。』の言葉(4)で、
特技のバック転をコワイお兄ちゃんたちに
からまれたときの魔法に使っていたという、
「警察官は損をする」を取り上げた。


今日は、本書の、
「目かくしをして正義を判断しろ」
より引用する。


話題は、休日に友人と散歩をしていて、
コンビニのオニギリを食べていたとき、
猫に出会うことから始まる。
オニギリをやっても匂いをかぐだけで
食べないし、”品のある座り方”いわゆる
”お姉さん座り”をするから、もともと
飼い主がいる捨て猫だろうと、ノリを
小分けにして小さいオニギリをいくつも
作ってやるところから話を引用する。

PART.2 脳で読む文章ー考えちゃう編


目かくしをして正義を判断しろ


(前略)
「よかったな。今日はなんとかなったな」
「贅沢だぞ。今日のご飯は」
「そうだよ、落ち葉でも食え」
 思わず二人は笑ってしまった。そして急に大きな声で、
「強く生きろ!」
 と言うので、僕はなぜか寂しい気持ちになってしまった。
 ネコが現れてから何分たっただろう。僕たちは立ち上がり、ネコを置いて帰ることにした。普通の話ならば、ここでおしまいだ。が、しかし、普通の話ならば、ここでおしまいだ。が、しかし、普通の話だけで終えるのは、みなさんに失礼にあたる。(ヨッ! さすがオヤビン)信じられないことにこのネコ、僕らの後を永遠についてきたのである。

さらにこのあと、ネコが先回りをして
二人を待ち構えていたのが気味悪く、
仕方なく、コンビニでキャットフードを
買って与え、それを食べている間に少し
ずつネコから離れていったが、後ろ髪を
引かれる思いを綴っている。

 ネコと別れてから何度もうしろを振り返った。ネコの姿を期待するが、小さなネコの姿は見えず、真っ暗な景色が目に入ってくるだけだった。
 振り返る度に、小さなネコを暗闇の中に置き去りにした気持ちに駆られ、振り返ることをやめた僕は心の中で一言つぶやいた。
「強く生きろ」
 この言葉を心の中で言うと、僕ははじめてネコに”さよなら”を言えた気がした。そしてそれから、僕は振り向くことは一度もなかった。

(中略)
 僕は、この寒い季節になると、あの小さなネコを思い出します。そして”強く生きろ”、この言葉は一番の”別れ言葉”なんだなぁとネコから学びました。それと、もしもあの時ネコを家に連れて帰っていったら、ネコは本当に幸せだったのか。人それぞれの価値観は違うけれど、僕はネコにとって本当の幸せではないと思った。
 一番よくないのは、ネコを捨てた人間であることは確かだ。しかし、それを言ってしまえば元も子もない。強制的ではあるが、一度外の世界に放り出された以上、あのネコはいくら体が小さいとはいえ、その日から自分の力で強く生きていかなければならないのだ。
 こんな言葉がある。”目かくしをして正義を判断しろ”。人間、誰もが情に流され、本当に正しいことを見失うケースがある。けれど、情に流された判断を下すということは、僕は本当の”優しさ”ではないと思う。
 あなたなら、あの小さなネコをどうしましたか?


小さな捨て猫との別れから、
「強く生きろ」という思いは、「一番の
別れ言葉」なんだと気づいたり、
捨てられてしまった以上、小さくとも
自分でしっかり生きていくしかない、
という思いを持っていたり、
情に流された判断は本当の優しさではない、
と話はふくらんでいく。


別れのせつなさ、自己責任で生きる強さ、
情に流されないのが本当の優しさとする、
厳しいともとれるような、でも、りんと
した強い軸とか、自分を守るのは自分だ、
という意志を感じる文章だ。


捨て猫の話題からほのぼのと始まったとは
思えないような、結末を迎えて、
草なぎさんの文章運びとか、思考の深まり
かたは面白いと思う反面、ここまで日常の
出来事をきっかけにいろいろ考えるのかと
驚かされもする。


本書から、こうして引用のために入力しつつ、
草なぎさんの文書の流れや、思考回路が、
書き出しがゆるりと始まって、意外と重厚な
締めくくりに落ち着くことが多いのに気づいた。


当初、話題の飛躍性や、タイトルと中身が
ちょっと合っていないのかなと思うことも
ありびっくりしてきたが、タイトルにした
ことが草なぎさんの言いたいことだった、
と何度か読むとわかってくる。


それで、
本書の冒頭の「まえがき風な但し書き」を
ふと思い返した。そこを引用したい。

 僕が書く文章は、文法的に間違っているところや、言葉が足りないところがある、おかしな文章です。それだから、意味不明な点や理解しづらいところが出てくると思いますが、そこのところは、あなたご自身の持つ感性で、どうか読み取ってほしいのです。読み手側に期待します。        草なぎ剛(本書では、なぎは漢字)


読み始めの時は、これを定型的な謙遜の言葉
だと思っていたが、引用するために入力を
繰り返してきて、やっと意味がわかった気が
した。


草なぎさんの意図するところは、行間にも
たくさんあって、本当はもっと細かく書けば
もっとわかりやすくなるのかもしれないが、
その思考の過程が一部飛躍していることも
あるのだということがわかってきた。


ああ、誤解されやすいってこういうことだ、
ちゃんと考えているんだけど、聞き手や
受け手が、しっかりと草なぎさんの思考を
読み解いていかないと、突飛もない結論に、
ただピントがずれているとか、意味がよく
わからないとか、思考を先回りして解釈して
しまうことがあるんだと思った。


順を追って話を聞くと、その結論にたどり
ついた理由ははっきりしていることばかりだ。


でも、理由の説明が省略されてしまったり、
思いもかけない方向に発展していたりして、
周囲がその飛躍度合を、どうして?と尋ね
たり、一気に笑い飛ばさないように、
受け手側の傾聴力や理解力が問われるなと
思ったりした。


ふとこの一文を読みながら、草なぎさんの
こういう思考プロセスを理解して、SMAPさん
のほかのメンバーは草なぎさんの話をよく
聴いてくれるのだなと思った。


また草なぎさんは、話をしっかり聴いて
くれるスタッフのかたに恵まれてきて、
芯となる骨太さが理解されてきたんだなと
本書を読み進めるほどにわかった気がする。


私も引用5回にして初めて、草なぎさんの
文章展開とか思考の流れが少し理解できた
ような気がする。


実は毎回、なぜタイトルとちょっとずれた
内容展開なのだろうと戸惑いながら、
自分だったらタイトルはこうつけるかなと
思っていた部分もあったのだが、それは
読み手である私に委ねられていた理解力
ということがここにきてやっとわかった。


国語的な目線で、画一的に文章を読んでは
いけないと教わった気がする。
軸となる言いたいことがはっきりとあり、
草なぎさんの言いたいことの本質が理解
できるかどうかは、読み手の感性にあるの
だと、やっとわかってきた。


と、話がふくらんできたが、5回目にして
私自身が一番学びが大きかったような回だ。
やっと、そういうことかと、しっくりきた。


余談だが、朗読劇の椿姫で草なぎさんは
劇中で捨て猫を拾ってきた役を朗読して
いるが、そこでは捨て猫に情がわき、
上司に頼み何匹も飼ってもらっているのを、
このエピソードから思い返した。
Reading 『椿姫』with 草なぎ剛 〜私が愛するほどに私を愛して


個人の体験とは逆の結論はあるが、
ひとつの命をしっかりと見つめている
ところは結論が違っていても同じなのが
やけに興味深いと思った。


劇中のように命を引き取るのも優しさだし、
草なぎさんが言うように情に流されない
正しい判断も優しさの一つだろう。
捨て猫の存在一つとっても、草なぎさんの
目線は優しく、本当の優しさとは何かと
思わされる文章だった。


草なぎさんの出版物についてのレビューは、
下記にもありますので、よろしければ
合わせてお読みください。
『クサナギロン』の草なぎ剛さんの「はじめに」の言葉
Okiraku』の草なぎ剛さんのプラスに転化させる言葉
『月の街 山の街』の草なぎ剛さんの「いい違和感」を伝える言葉


では、また。