笑う能力の詩

こんにちは、検索迷子です。


今日は草なぎさんの話題が中心ではないが、
これから紹介する、茨木のり子さんの詩「笑う能力」を選んだきっかけは、
先日、草なぎ剛さんの語調を書き、
ファンのかたたちの温かい反応に触発されたことが大きい。


もともと好きな詩だが、この出来事があったことで思い出した。
折しも登場する単語が今が旬の、柿や洋梨と秋らしいというのもある。


子どものころから言葉の世界が好きで、
この検索迷子でもいくつも詩を紹介してきた。
詩を紹介するときはいつも、その詩を紹介したい理由があったのだと、
ふと気づかされた。


自分でもまさか、草なぎさんと詩の話題がここで一緒に語れると
思っていなかったが、日々のなかで興味があることは、
私の目線で見ている限りは、点が線につながるようだ。


自分が言い表せない気持ちを詩集に見つけたとき、
ざらざらした感情を、自分の言葉では書けないとき、
私は詩の力を借りて、心に安らぎを取り戻す。


そして、忘れかけていた感覚を取り戻そうとしたとき、
それは例えば季節感だったり、
やさしさや笑顔や五感だったりするが、
言葉の力を借りて、心の均衡を整える。


今日紹介するのは、
茨木のり子(いばらぎのりこ)さん著、「笑う能力」だ。
『倚りかからず(よりかからず)』筑摩書房、1999年刊だ。
書名にはルビはないが、読みやすさのため補足した。
文庫もあるようなので合わせて紹介しておく。

倚りかからず (ちくま文庫)

倚りかからず (ちくま文庫)

倚りかからず

倚りかからず


ちなみにこの詩集は発売当時、
詩集としては異例なほど売れたと言われている。
詩集の表題作の紹介は、
過去に倚りかからず(よりかからず)でしているので、
さっそく今日の詩の紹介をしようと思う。

笑う能力
茨木のり子



 「先生 お元気ですか
 我が家の姉もそろそろ色づいてまいりました」
 他家の姉が色づいたとて知ったことか
 手紙を受けとった教授は
 柿の書き間違いと気づくまで何秒くらいかかったか

    
 「次の会にはぜひお越し下さい
 枯木も山の賑わいですから」
 おっとっと それは老人の謙遜語で
 若者が年上のひとを誘う言葉ではない


 着飾った夫人たちの集うレストランの一角
 ウェーターがうやうやしくデザートの説明
 「洋梨のババロワでございます」
 「なに 洋梨のババア?」


 若い娘がだるそうに喋っていた
 あたしねぇ ポエムをひとつ作って
 彼に贈ったの 虫っていう題
 「あたし 蚤(のみ)かダニになりたいの
 そうすれば二十四時間あなたにくっついていられる」
 はちゃめちゃな幅の広さよ ポエムとは


 言葉の脱臼 骨折 捻挫のさま
 いとをかしくて
 深夜 ひとり声たてて笑えば
 われながら鬼気迫るものあり
 ひやりともするのだが そんな時
 もう一人の私が耳もとで囁く
 「よろしい
 お前にはまだ笑う能力が残っている
 乏しい能力のひとつとして
 いまわのきわまで保つように」
 はィ 出来ますれば


 山笑う
 という日本語もいい
 春の微笑を通りすぎ
 山よ 新緑どよもして
 大いに笑え!


 気がつけば いつのまにか
 我が膝までが笑うようになっていた


注:蚤のルビは実際は文字横に表記されたものを、()表記に
検索迷子が補足。
はィ、の表記は原文ママ


読み返してみて、
この詩をずっと秋の詩かと思っていたが、
春と初夏を表す言葉、
読みようによっては冬を思い起こさせる要素があると気づいた。


四季が想像され、つまり一年中ずっと、
さらに、死ぬ間際までという言葉もある。
つまり、笑う能力って、
生きているあいだずっとずっと必要なものだと、
この詩は伝えてくれているんだと思った。
こういう発見が、繰り返して読むとあるから楽しい。


国語のような解説は普段はしないのだが、
自分が雰囲気で読んでいた部分がわかったため、
もう少し、素人ながら詩の言葉を補ってみたい。


「山笑う」は春の季語で、春の山の明るい感じを表す。
「どよもして」は、「響もす」と書き、
声や音を鳴りひびかせるということだ。


そこから、「新緑どよもして」は、
新緑のまぶしさによって、
夏に向かって木々が芽吹き、日差しがまぶしくなるような
季節のにぎわいを表現しているのだろう。


そして、少しこじつけかもしれないが、
「膝が笑う」というのは、
加齢によって、人生の秋から冬の時期にさしかかったと想像される。


「いまわのきわ」は、「今際の際」とも書き、
臨終や死にぎわのことだ。


内容のとらえかたについては人それぞれだと思うが、
日々、ちょっといらだったり、納得がいかなかったり、
何かが許せなかったり、不思議だったりするなかで、
笑う能力が生きる活力のベースになるような気がする。


笑えなくなったら、生きることはつまらない。
怒りや哀しみや戸惑いをダイレクトに表現するよりも、
笑う能力に昇華させることのほうが、
どれだけ日々を豊かに、やさしいものにしてくれるだろうか。


笑うことにだって、能力がいる。
いまわのきわまで、笑う能力を保ちながら、
笑って生きていたいと思う。
怒りで眉間のシワができるより、
笑顔で笑いジワをつくるような、そんな日々を過ごしたい。


笑って、笑って、笑って。
幸せはその笑顔の先に生まれる。


では、また。