茨木のり子「なれる」

こんにちは、検索迷子です。


茨木のり子「なれる」を紹介したい。


同じ漢字を羅列して、
その意味の違いをひもとく、言葉遊びの詩がときどきあるが、
これはそういうものとは違っている。


茨木さんが亡くなったご主人に対しての記憶や思いが下敷きにあり、
思い出が詰まった言葉なのだとわかる。
「なれる」という言葉で、二人の歴史が浮かび上がる。


なれずに、親しさを深くする


茨木のり子(いばらぎのりこ)著、童話屋発行『女がひとり頬杖をついて』から、
今日は「なれる」を引用します。

女がひとり頬杖をついて

女がひとり頬杖をついて

  なれる
        茨木のり子


おたがいに
なれるのは厭だな
親しさは
どんなに深くなってもいいけれど


三十三歳の頃 あなたはそう言い
二十五歳の頃 わたしはそれを聞いた
今まで誰からも教えられることなくきてしまった大切なもの
おもえばあればわたしたちの出発点であったかもしれない


狎れる 馴れる
慣れる 狃れる
昵れる 褻れる
どれもこれもなれなれしい漢字


そのあたりから人と人との関係は崩れてゆき
どれほど沢山の例を見ることになったでしょう
気づいた時にはもう遅い
愛にしかけられている怖い罠


おとし穴にはまってもがくこともなしに
歩いてこられたのはあなたのおかげです
親しさだけが沈殿し濃縮され
結晶の粒子は今もさらさらこぼれつづけています


なれるのは厭だな
親しさは
どんなに深くなってもいいけれど


そんな言葉、言えそうで言えない。
そんな言葉、聞けそうで聞けない。


これを言ってくれる人の存在が、
これを実現しながら一緒に生きていける人との出会いが、
なによりも貴重なことなのだとわかる。


なれてしまうことは怖い。
でも、どんな「なれ」なんだろう。


人と人とがお互いを認め合い、
だけど、なれあってしまわない距離で、
ほどよい関係で、
尊厳を保ちあえるのは、できそうでできないかもしれない。


良いところだけでなく、
いやなところも見て、
お互いの行動習慣や、思考パターンもわかり、
何を考えているのかどうしたいのか、
相手をわかった気になって枠組みにはめてしまうことがある。


恋愛に限らず、人とのつきあいにおいても。
相手を知っている気になる。


だけど、常にアンテナを張り巡らせて、
新しいその人の可能性を見ようとして、
枠組みを作らないで接するほうが、
いつだって新鮮な気持ちでいられるだろう。


なれるのは、時に心地いい。
わかっているという安心感がお互いあることもある。


けれどほどよく、なれあわないほうが、
緊張感を持って接していけるほうが、
本当はいいのだと思う。


自分はどんな、なれるに陥りやすいのか。


なれたくない。


常に、今をきちんととらえていたいと思う。


まわりにもなれてしまわず、
親しさを深めていけたらと思う。


大切な人であればあるほど、なれずにいきたい。
茨木さんがご主人に対して書いていたように、
なれずに歩いてこられたのはあなたのおかげですと、
伝えられるような関係性を作りたいと思う。


親しさだけが沈殿され濃縮され、
結晶の粒子が今もこぼれつづけていると、
もし、相手と離れる日が来たとしても、
感謝して心で呼びかけられるように生きていたいと思う。


なれてはいけないと、生涯、心に刻んでくれたことを、
親しさを深めたことを喜びたいと思う。


なれずに生きよう。