茨木のり子「内部からくさる桃」

こんにちは、検索迷子です。


茨木のり子「内部からくさる桃」を紹介したい。


何かを乗り越えようとする手前、
ただうずくまり、立ち止まり、息をひそめるかのように、
嵐が過ぎるのを待つだけの時期がある。


そんなとき、でも立ちあがらなければ、
自分の現状を変えるために力を出せるのは、
自分しかいないのだと、
我に返って行動を始める。


詩の中にある強い言葉に、
目をそむけず、気持ちを奮い立たせるような思いを、
今持てるかどうか。
そんなことを考えさせられた一遍だ。

ひとりにだけふさわしく用意された生の意味


茨木のり子(いばらぎのりこ)著、童話屋発行『女がひとり頬杖をついて』から、
今日は「内部からくさる桃」を引用します。

女がひとり頬杖をついて

女がひとり頬杖をついて

  内部からくさる桃
        茨木のり子


単調なくらしに耐えること
雨だれのように単調な……


恋人どうしのキスを
こころして成熟させること
一生を賭けても食べ飽きない
おいしい南の果物のように


禿鷹の闘争心を見えないものに挑むこと
つねにつねにしりもちをつきながら


ひとびとは
怒りの火薬をしめらせてはならない
まことに自己の名において立つ日のために


ひとびとは盗まなければならない
恒星と恒星の間に光る友情の秘伝を


ひとびとは探索しなければならない
山師のように 執拗に


<埋没されてあるもの>を
ひとりにだけふさわしく用意された
<生の意味>を


それらはたぶん
おそろしいものを含んでいるだろう
酩酊の銃を取るよりはるかに!


耐えきれず人は攫(つか)む
贋金をつかむように
むなしく流通するものを攫む
内部からいつもくさっている桃、平和


日々に失格し
日々に脱落する悪たれによって
世界は
壊滅の夢にさらされてやまない。


怒りの火薬をしめらせてはならない
まことに自己の名において立つ日のために


この言葉に、どうして立ち止まらずにいれようか。
単調さを打破するために、
闘争心と怒りと、探索とをやめてはならないことから、
目をそむけようとしたときに、ずしりと響く。


埋没されてあるもの、
ひとりだけにふさわしく用意された、生の意味、
それを正面から考えたことはあるだろうか。


これこそ、自分がなぜこの時代に今生きて、
生かされて、生き続けるのかを考える大切な生きるテーマだ。


年齢を重ねて、仕事をして、社会に関わることの意味はなにかと、
私自身何度も自問している。
まさに、最近ずっと。
そんなときにこの詩に出会った。


耐え切れず、むなしく流通するものや、
内部からいつもくさっている桃や平和をつかんではならない。
くさっている桃は、くさっているのだ。
ニセモノの平和は、真の幸せを運んでは来ない。


ひとりだけにふさわしく用意された、
生の意味はきっとある。


それが何かを探す道のりで、迷ってはいけない。
それは自分にしかできない、生きている意味なのだから。
それを、誰かに与えていくことで、
自分も幸せになれるという、
内部からにじみでる幸福の象徴のはずなのだから。


みずみずしい果実のような、
生の意味を見つけよう。
耐えていこう。
それが見つかるまで。


怒りと探索をしながら。
埋没されているものを探しにいこう。


ひとりひとりに、
きっと、その人が生きている意味があるのだ。