草なぎ剛さんの繰り出す力

こんにちは、検索迷子です。


草なぎさんの身体能力について、以前記事を書いた。
草なぎ剛さんの可動域


最近、草なぎさんのことばかりを書いていて、
いつも考えながら編集もせずに一気に書くためか、
読み返しもしないためか、どうしても長くなりがちになる。
今日は短めに身体能力について書こうと思う。


草なぎさんの、右ストレートを見ると、
あまりのスピード感に爽快になる。
右ストレート、つまり、何かを殴るシーンだ。


他の役者さんでも、右ストレートをするシーンというのはあるだろうが、
なんとなく予想がついたりして、
演技自体は全体の一部に見えて記憶に残らない。
でも、草なぎさんのそれは、ものすごく印象に残るシーンになることが多い。


なぜなんだろう。
殴りそうもないキャラクターだからなのかもしれないが、
繰り出すスピードに疾走感があって、
そこにはっとするのかもしれない。


え、いま殴った?というくらい、動作が速い。
これに気づいたのが、「黄泉がえり」だった。
葵の病室で、亡くなった恋人の黄泉がえりを願うあまり、
錯乱状態となった彼女の頬を張るシーンだった。


ビンタをするというお芝居は、
どなたが出演するドラマのなかで比較的よく見られる。
でも、草なぎさんのそのビンタは、え、いまビンタした?
というくらいのスピードに思えた。
だから、その後の間合いにそのビンタの意味を、
じわじわと考えてしまった。


同じ日に、ドリパスで「任侠ヘルパー」も観たが、
これは役自体から殴り合いのシーンも想像できたので、
どこか一つのシーンが印象に残るという感じではなかった。


黄泉がえりを観たときに、はっと思い出したのが、
「銭の戦争」のシーンで、
公衆トイレで壁に設置してあるハンドドライヤーを
うさ晴らしに殴ったシーンだった。
わ、今、殴った、とはっとした。
対象は人ではないが、その殴る行為には思いっきり怒りが乗っていた。


痛そうとかそういう感想ではなく、
繰り出す力、
そして、繰り出す力を生み出す熱量のようなものが、
一気にあふれるようなシーンに見えたのだ。


たまりにたまった感情を爆発させる手段として、
草なぎさんの右ストレートが出るシーンは、
本当に効果的に見える。


ビンタにしても、グーでの右ストレートにしても、
それをするシーンは決して明るく楽しい時間ではない。
ましてや前段階での怒りをぶつける行為だ。


なのに、荒くれで凶暴な行為というより、
もうそうせざるを得ないという気持ちの発散の形として、
殴るということが当然のように思えるのだ。


普段が優しい印象の草なぎさんが、
こうやって怒りのエネルギーをためこんで、
それをお芝居とはいえ、右手に力を込めて繰り出す。
それも、ものすごいスピードで。


あの瞬間のスピードには、
どんな気持ちを乗っているのだろうと観ると、
殴ったその瞬間よりも、殴った後の時間、その余韻にひたりながら、
あれはなんだったんだろうとしみじみと見入ってしまう。


繰り出す力の疾走感には、何があるのだろう。
引く力が強いからこそ、押す力も強い。
草なぎさんの体重のかけかた、肩回りの柔軟性、
体幹のぶれのなさ、腕そのもののしなやかさが、
あのスピード感を生み出しているように思う。


殴っているシーンなのに美しい。
かっこいいというより、美しいのだ。


ドラマや映画での暴力シーンにあるような殴り合いは、
イメージとしてはねっとりしている気がする。
シュッと手がでていなくて、おりゃーーーという感じだが、
草なぎさんの場合、シュッという音が聞こえそうなくらい、
後腐れなく、今殴りたい気分なんだよと、
さっと繰り出され、さっと終わる感じがするのだ。


こういう動作一つとっても、身体能力の素晴らしさを感じる。


殴るシーン自体は全然好きではないのだが、
なぜか草なぎさんの右ストレートは見入ってしまう。
予兆もなく繰り出され、
あっという間に終わり、
そのあとじわじわとくる。


マニアックな感想かもしれないが、
先日、黄泉がえりを観た後、真っ先にメモをしたのが、
この繰り出す力だったのだ。それくらい、鮮烈だった。


草なぎさんの身体能力については、
また書いてみようと思う。


今日は短めにといいつつ、
やっぱり気持ちが乗ってくると長いですね。


気分が少しブルーになるときは、
草なぎさんの右ストレートを思い出すと、
気持ちがシュッとなるような気がする。
勢いがよく、嫌味がなく、
そして、気持ちそのものがストレートに繰り出されている、
あの右ストレートが。


こういうところにも、草なぎさんの個性がでるのだと
思わずにはいられない。


では、また。