草なぎ剛さんの鎮める声

こんにちは、検索迷子です。


草なぎさんの声について過去4回書いてきた。
書いても書いてもまだ足りなくて、切り口ももっとあるのだと思えて、
書けば書くほどなんかまだ違うなぁと思っている。
草なぎ剛さんの声の距離感
草なぎ剛さんの声と胸筋
草なぎ剛さんの誰かを呼ぶ声
草なぎ剛さんの息が合う存在


私は録画もリピもしない視聴者のため、
リアルタイムでの感想を書くのは、
勘違いをしそうで怖くて、少しだけ寝かせてからといつも思っている。

でもやはり、先日の「僕らの音楽」を観て、
今だからこそ書き残したいという気持ちが起きてきた。


私の草なぎさんの声シリーズは、
自分のなぞを解き明かしたいために書き出したものなので、
思いっきり自分目線だ。
多少の誤解や勘違いがあったら、すみません。


草なぎさんの声の良さをダイレクトに伝える良質な時間として、
僕らの音楽」は本当に素敵な番組だ。
スペシャルとして復活したのは本当に喜ばしいことだった。


オープニングの音楽と、東京タワーの夜景、
草なぎさんのナレーションを聞きながら、
いくつの毎週金曜日の夜が、この声で過ぎていったと思い返すような、
リラックスした時間から始まった。


そして、番組が進行していき、
ビートルズの紹介になったとき、あれ?と思ったかたは多いだろう。
ナレーションがほかのかたになっていたのだ。
私もはじめ、
あ、草なぎさんの声のトーンでリラックスした脳が、
少し覚醒されたような思いがした。
あれ、ナレーションは違う人がやるんだと思った。


いま、とろとろと心地いいところに入っていたのに、
草なぎさんのトーンより高めのナレーションによって、
目が覚めたというか現実に少し引き戻されたような気がした。


最初、草なぎさんの自分側にぎりぎり落ちるような、
声をあまり張らない声質が内容のナレーションと合わないからなのか、
なぜ草なぎさんより声の高めの方をナレーターに選んだのかと考えていた。
ビートルズの過熱した人気を伝えるためには、
草なぎさんの声は内側にこもりすぎているのだろうかとか。


でも、どんな理由なのか、どういう番組上の都合かはわからないが、
番組を観終えて、結果的に、私は本編のナレーションを
草なぎさんが行わなかったことを、
肯定的にとらえたいと思っている。


それは、ビートルズがテーマだったからだ。
そして、ビートルズが稀有なアイドルだったことを、
現代に置き換えてイメージさせてくれることができるSMAPの存在を、
同じステージにあげて当事者として語れるのが、
まさにSMAPの草なぎさんだったからだ。


草なぎさんはあの収録の場で、初めて知ったビートルズ
エピソードがたくさんあったのだろう。
素直に驚きを示し、共感を見せ、
自分の心から出てくるがままの感想を語ってくれた。


もし、あれが事前にナレーションを録音していたら、
また違ったのだと思う。
すでに話は知っているわけだから、
知ってるよというトーンで話題を先走りしたかもしれない。


でも、傾聴姿勢で落ち着いた草なぎさんは、
じっくりと映像を観て、感想にもそのときの感動があふれていた。


もし先に知っていることなら、
感想の出方も少しフィルターがかかり、
むき出しの言葉ではなかったのかもしれない。
草なぎさんがたまに言うように、
感想は視聴直後のライブ感のあるものが一番いいのだと思う。
そう思わされた。


感想の言葉を選びながらも、
心のなかに秘めた思いを隠せないような表情も見せ、
あのときが映像もナレーションも初見だったからこそ、
数少ない感想の言葉ながらも、
一つひとつが印象深い、草なぎさんの言葉や表情を観られたのだと思う。


魔法にかけられるという表現も、舞台側にいる当事者たちにしかわからない。
「HELP」という歌詞に込められた悲鳴のような叫びも、
アイドルになり、誰かに管理され、
追いかけられた側になった人間しかわからない。


キャーという歓声に歌がかき消されているような思いも、
一人ひとりが個性を持ってグループとしてどう歩んでいくかも、
先日の素晴らしいどのゲストのかたよりも、
SMAPの草なぎさんが最もコメントに適していると思った。


昨日の番組は、司会者でありながら、コメンテーターのような
立ち位置でよかったのかもしれないと思った。
だからどうせなら、SMAP5人でゲストであってもよかったなとか。
音楽性や革新性を語れるゲストの方は多数いると昨日わかったが、
アイドルとして時代にいかにコミットするかは、
この5人以上に語れる人はいないような気すらした。


少し話がそれたが、草なぎさんの声に話を戻そうと思う。
番組の草なぎさんを観ながら、
このひとの声に癒されるというよく表現を見るが、
私は、気持ちを鎮める声なのだという気持ちがした。


キャーという歓声、
周りに仕切る大人がたくさんいる怒号、
あわてふためく人々、重いプレッシャー、
なんでもいいのだが、
アイドルをずっとやっていると、
心がざわつき平常心でいられないときはたくさんあっただろう。


でも、そんなときに、ぽんと草なぎさんの、
そっかなぁという一言を聞くと、
はっとしそうな気がするのだ。
場がしらけるのではなく、場の高揚感が少し鎮まると言う感じだ。


最近のたとえでいくと、
木村さんとセブンイレブンのロケで北海道に行ったときの声にそれを感じた。


木村さんと二人でトークをしているとき、
木村さんがテンション高めで「お、これ買っちゃおうかなー」と
言ったとき、
「そっかなー。普通に、買おうっていう人もいるんじゃない?」と
いうようなことを言って、
木村さんが目を丸くしているシーンがあった。


ああ、草なぎさんは普通のテンションを保ちながら、
日々を過ごしているのだなぁと思ったりした。



草なぎさんの声が、鎮まる声なのだと意識したのは、
少しまえにたまたま、
「Five True Love」の歌を聴いたときだった。


たぶん、リアルタイムでもアルバムを聴いていたと思うが、
久しぶりに聴いたときに、あ、このパートは草なぎさんが
歌っていたから、ものすごく覚えているんだと気づいたところがある。
草なぎさんが歌っているとずっと知らなかったというか、
意識すらしていなかった。


それが、
「どんなに逃げてても
On the 地球(ほし)の手のひら
西は東 答えはナシ」
の箇所だ。


昔これを聴いたときは、なんだかメンバー紹介の熱いトーンのなかで、
ふっと力が抜けるなぁという感想だったが、
今、この箇所がやけに気になるのだ。
熱さが鎮まるというか、ふっと自分側に気持ちが引き寄せられる部分なのだ。


この詩を草なぎさんに歌わせようと思った人って、すごいなぁと思った。
そのころから、草なぎさんの声には、
何かを鎮める力があるのだとわかっていたのだろうか。



その人の声の良さが引き立つシーンというのがある。
たくさん聴ければそれでいいわけではなく、
特に草なぎさんのように感情が声に乗ってしまうタイプのかたは、
いかに、鎮まる声がご自身で出せるように気持ちを整えるのかも、
大事な要素かもしれない。


スマシプイカ釣りのときのように、
高揚した草なぎさんは言葉をかぶせることもあるし、
声が裏返っていることもある。


その多面性がいいところでもあるが、
声そのものを聞かせてくれるようなナレーションは、
美しく深みのある声で、世俗的なものを一切がっさい鎮めてくれるような、
そういう魔法を私たちにかける存在であってほしいと思う。


それにしても、私たちには、
草なぎさんの声という心を鎮めてくれる存在があるが、
草なぎさんご自身は、いったいどんな声で心を平静に保つのだろう。


追いかける側はいろいろと想像してシーンを切り取るけれど、
追われる側の当人の気持ちばかりは、
どこまでいってもわからない。


そして、あの声の美しさがほんとうはどこからやってくるのかも。
だから、解き明かしてみたいのだけど。


では、また。