茨木のり子「問い」2編

こんにちは、検索迷子です。


先日、茨木のり子(いばらぎのりこ)著、『おんなのことば』から「六月」と「あほらしい唄」の詩を紹介したが、
今日は、「問い」を綴った一遍を紹介したい。


おんなのことば (童話屋の詩文庫)

おんなのことば (童話屋の詩文庫)

同じ「問い」というタイトルの2編の詩が


本書を見て、驚いたのが「問い」という全く違う内容の、
同名タイトルの詩があったことだ。


いつの時代にどれが書かれたのかまで調べていないが、
「問い」という言葉で書く詩が、
一生に一度でなければならないわけではない。


そのときどきに、問いがある。
そして、それを形にしていく。


同じものを見て、
同じ言葉を見て、
同じものしか生み出せないなら、
人としての成長が止まってしまうような気がした。


一人の詩人が、同名タイトルを使っている、
というのを初めて見たため、それだけでも興味深く、
紹介したいと思う。


ともに、同じ詩集のなかに掲載されている。

   問い
     茨木のり子


人類は
もうどうしようもない老いぼれでしょうか
それとも
まだとびきりの若さでしょうか
誰にも
答えられそうにない
問い
ものすべて始まりがあれば終りがある
わたしたちは
いまいったいどのあたり?


颯颯の
初夏の風よ


颯颯(さつさつ)の
初夏(はつなつ)の風よ


という最後のフレーズが、
最初の、老いぼれという単語や、
諦念めいた、少しくたびれた気持ちを、
すっきりと締めくくる。


重たい気持ちを抱えて、
問いを投げかけても、
外は気持ちがいい初夏の天気。
じとっとしそうな気持ちをからりとさせてくれる。
悩んだってしょうがないというような気持ちにさせてくれる。


そして、もう一つの「問い」が次の詩だ。

   問い
     茨木のり子


ゆっくり考えてみなければ
 いったい何をしているのだろう わたくしは
ゆっくり考えてみなければ
 働かざるもの食うべからず いぶかしいわ鳥みれば
ゆっくり考えてみなければ
 いつのまにかすりかえられる責任といのちの燦  
ゆっくり考えてみなければ
 みんなもひとしなみ何かに化かされているようで 
いちどゆっくり考えてみなければ
 思い思いし半世紀は過ぎ去り行き
青春の問いは昔日のまま
 更に研ぎだされて 青く光る


こちらはもう少し、内面に問いかける気持ちになる。
言葉の選び方も重みがあり、
すらすら読むというより、
文体にひっかかるように、口語ではなじみが薄い言葉が使われている。


そのひっかかる単語を選ぶ、
ひっかかる問いがあるということで、
問いを受け流さないようにしようと立ち止まる。


最後から四行目、
いちどゆっくり考えてみなければ、
という箇所が、
単にそれまで、ゆっくり考えてみなければ、
という思いの念押しになっていて、
なおさら、先へは簡単に進めず、
安易な答えにも流れていけない。



問いかける。
問いかけることがある。
問いかけた先に何かを見つけたい。


だから問いかける。


問いだけで終わってしまう一方通行のものでいいなら、
言葉にわざわざしない。


問いかけることで、
その問いを乗り越えたいと思う。
だから問いかける。


問いという詩を見ながら、
私も自分に問いを投げる。


何を問いかけて、問いに答えを見つけるのと。


では、また。