見えていない自分

こんにちは、検索迷子です。


自分の強みは自分では見えない、そう思うことがある。
過去何度か転職をして、そのときに応募職種ではない職種の打診を受けた。
当初は、思いがけないことでしり込みしても、
相手がそういうのなら、私のなかに可能性を見出してくれたのかと、
断らずに受けてきた。


結果的に、それはある意味当たっていて、
経験できたことが自分の基盤を強めてくれたことがある。


特に最近では、Web制作まわりの仕事しかしていなかったとき、
法人営業をやってみないかと言われて、
それは無理だろうと思ったけれども、
交渉力をつけられるだろうかと受けてみることにした。


当初は戸惑い、うまくいかず、判断を間違えたかと思った。
でも、次第にのびのびと仕事ができるようになった。
自分のなかでまだ使ったことのない部分が出てきたように、
社内外からそれなりに評価をしていただいた。


最近も、こういう仕事をやってみないかと声をかけられるものが、
過去には未経験のものが増えた。
あまりに未知すぎて、できるのかできないのか即答できないこともある。


でも、そういうものこそ、断らずに受けてみたほうがいいと思う。
自分が見ている自分、
自分が得意だと思っていることは、
その切り口だけではないのだと他の人に教えてもらう。


そんな機会はそれほど多くない。
そんなことを言われない限り、手を出さないことも多い。


だとしたら余計にやってみたほうがいい。


見えてない自分を、見出してくれる人に会えたら、
それはプラスに考えたほうがいい。


失敗したっていい。
昨日と同じ自分でいるよりは、
一つ試せたという事実が残る。


硬直化した心に成長はない。
え、そんなことと思うことほど、
やれるチャンスをもらったならやったほうがいい。



今日もそんな出来事が一つあった。
迷いながらも、
それを試そうかと逡巡し、
迷うくらいなら、やってみようと決断しそうな気もする。


見えてない自分の可能性を、
見えないままにしてしまうのは、
人と会っていないからなのかもしれない。


会う人が増えれば、多くの切り口で自分を見てもらえる。
そこに、何か変われるチャンスが潜んでいるかもしれないのだ。


見えてない自分がいるいうことを受け入れると、
他の人の提案も受け入れていける心の準備ができる。


迷ったら、一度試せばいい。
悩むのは、その先でいい。



一つの決断を前に、言い聞かせるかのごとく、
自分には何ができるのだろうかと、
何が出来る人にみえるのだろうかと、
考える機会をもらえて良かったと思っている。


さてさて、見えてない自分と、
見えている自分との振れ幅をどうするかが目先の問題だ。


では、また。