石垣りん「時の記念日に」

こんにちは、検索迷子です。


石垣りんさんの詩、「時の記念日に」を紹介したい。


以前、「夏の本」のレビューを書いた、
石垣りん詩集「宇宙の片隅で」水内喜久雄(みずうちきくお)選・著、
伊藤香澄(いとうかすみ)絵、理論社発行と同じ本だ。

宇宙の片隅で―石垣りん詩集 (詩と歩こう)

宇宙の片隅で―石垣りん詩集 (詩と歩こう)


本書から引用する。

時の記念日
     石垣りん


私たちが一日のうちに
一番たくさん問いかけること
いま 何時?
自分に向かって
周囲の人に向かって。
それはたやすく答えられる
時計さえあれば
ちいさな子供でも答えられる。
単純明快な時刻というもの
自分も他人も信じて疑わないもの
これほどかたちのない
これほど正確なものが存在するだろうか。
しかもなお
限りなく尋ね続ける
生きている命の
この一瞬
いま、何時?


時の記念日は、6月10日のようだ。
Wikipedia - 時の記念日


この詩がこの記念日とどういう関係があるのかは、
定かではない。


時という、誰にも等しく与えられたものを、
立ち止まって問いかけたり、
考えたり、
確認したくなる気持ちはいつだってある。


本当に知りたいのは、
今が本当に何時かということではなく、
今は、自分にとって何時にあたるのか、
ということかもしれないと思う。


時間を知ろうと思えば、
人に聞く、
時計を見る、
メディアで表示されている時間を見る、
方法はいくらでもある。


正確な時間を知ることは、
不正確な自分の時間を確認してしまうような、
そういう行為なのかもしれないと思う。


正確な時間なら誰かが答えてくれる。
教えてもらえる。
でも、不確かな時間は?


誰もに正確に刻まれる時間を知ることが、
その時間の使われ方はその人次第だとわかる。


時間を問いかける。
その気持ちの裏側に、
焦りが透けて見えてしまうような生き方はしたくない。
難しいことではあるが。


時間に追い立てられるような生き方をして、
未来の自分が今の自分を悔やむようにはなりたくない。


生きている命の
この一瞬
いま、何時?


悔いを込めずに、
その問いを自分にぶつけてみたい。


いまの時間を作ったのは、紛れもなく自分。
確かなものとして、刻んでいきたいものだ。

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石垣りんさんの詩については、過去にもレビューしています。
よろしければあわせてお読みください。
石垣りんの「表札」の潔さ
石垣りんの『貧しい町』
石垣りんの先見性(私の前にある鍋とお釜と燃える火と)
石垣りんの「峠」
空をかついで
洗剤のある風景
川のある風景
石垣りん「夏の本」
石垣りん「おやすみなさい」
石垣りん「風景」


では、また。