茨木のり子「あほらしい唄」

こんにちは、検索迷子です。


昨日、茨木のり子(いばらぎのりこ)著、『おんなのことば』から「六月」の詩を紹介したが、
今日は、七月を綴った一遍を紹介したい。


茨木のり子さんの詩集は、一通り目にしてきたと思ったが、
この詩集の編まれ方によって、今まで意識してこなかった点が2つが見えた。


一つは、何月かとか、数字を効果的に使った詩が多いということだ。
これまで単語の強さ、リズムの強さに目がいって、
数字の意味をあまり意識してこなかったのかもしれない。


数字という誰しもにとっての共通項をあえて使っている、
その意図は何かともう少し掘り下げて読んでいきたいと思う詩集だ。


もう一つは、女性として誰かを恋しいと思う気持ちを表した、
甘い言葉の詩をかなり書いているといるという発見だ。
自分の感受性くらい」「倚りかからず(よりかからず)」で、
茨木のり子さんの詩になじみがある人は、
同じ著者がここまで甘いトーンの言葉を使う意外性を感じるかもしれない。


実は私も過去、違う詩集で茨木さんのそういう面を見たとき、
私が知っている茨木さんではないような気がして、
その詩集があまり好きになれなかった。
どの詩集かはまた追ってレビューしたいと思っているが、
本書では、なぜかそれを受け入れられるようになった自分がいた。


強さも柔らかさも一人の人間の一部なのだと、
なんとなく受け止めていけるようになったのだろうか。


タイトルからして実に面食らう、「あほらしい唄(うた)」をご紹介する。

おんなのことば (童話屋の詩文庫)

おんなのことば (童話屋の詩文庫)

  あほらしい唄
    茨木のり子


この川べりであなたと
ビールを飲んだ だからここは好きな店


七月のきれいな晩だった
あなたの坐った椅子はあれ でも三人だった


小さな提灯がいくつもともり けむっていて
あなたは楽しい冗談をばらまいた


二人の時にはお説教ばかり
荒々しいことはなんにもしないで


でもわかるの わたしには
あなたの深いまなざしが


早くわたしの心に橋を架けて
別の誰かに架けられないうちに


わたし ためらわずに渡る
あなたのところへ


そうしたらもう後へ戻れない
跳ね橋のようにして


ゴッホの絵にあった
アルル地方の素朴で明るい跳ね橋!


娘は誘惑されなくちゃいけないの
それもあなたのようなひとから


こういう恋心を綴った一遍に、
あほらしい唄(うた)というタイトルはもったいない、
そんな気持ちもするが、
その照れくさい気持ち含めて、恋の唄なんだなと思う。


タイトルは変化球のようだけど、
詩の中身はストレートに綴られている。
むしろ直球すぎるくらいに。
その高揚感が、あほらしい唄というタイトルになったのかもと思う。


そして、この高揚感は七月じゃないと描けないと思った。
梅雨明け前の湿気を伴うような時期、
でもじき真夏がやってくるという期待感のある時期。


何月を生きて、
何月にどんな思い出を作って、
何月を振り返る時期に、あらためて何月かというキーワードが効果的に響く。


七月のきれいな晩、
そう呼べる一日を作りたい。


あほらしい唄、
そう言えるちょっと屈折したような、
でも素直な詩を書いてみたい。


私のなかで茨木さんの印象を変えた一遍だ。


今日から丸1か月、
七月のきれいな晩、と言える可能性があることが、
何だか生きていく楽しみをもらったようだ。


では、また。