検索迷子、3周年

こんにちは、検索迷子です。


先日、久々にブログを更新したが、
それにはちょっとした理由があった。


検索迷子は2009年7月1日に開始した。
今日で3周年になる。


このブログは、はてなダイヤリープラスという有料会員サービスを
使っているため、ちょうど更新費用が必要なタイミングだった。


それを数週間前から思い出し、
6月末までにブログを再開するか、あるいはやめるか、
ずっと気にかけていた。
そして、たまたまブログに書きたい本に出会った。


無料に移行してもいいかと思いつつ、
やっぱり、解析が少しはできたほうが、
どう見られるかがわかるため、無料ではもう物足りず、
有料で更新をした。


ちょっとしたことだが、こういう締め切りがあることによって、
決断の背中を押されることがあるのだと思った。


途中の中休みをはさんでしまったため、
胸をはって3周年と言うのは恥ずかしいが、
それでも、3年間分の私が見つけた言葉たちがここにはある。


ブログを始めた当初、このブログの方向性を決めず、
どこに向かうのかもわからず、
仕事の環境や職種も変わったりして、
立ち位置がまるで定まらなかった。
立ち位置を決めたくなかったのかもしれない。


だから、ブログ内でカテゴリ分けもせず、何ブログかもうたわず、
特定の人との関わりもあえて作らず、
なんとなく続けてきた。


でも、なんとなく続けても、3年分文章が貯まってきて、
自分の方向性みたいなものとか、
表現したいものとか、
得意そうなことが少しずつだが見えてきた。


読み手がいることの支え


検索迷子はこのままのトーンでもいい、
それに気づかせていれた人と今日、出会えた。


今日、更新しようか迷ってブログを開いたとき、
昨日の5か月半ぶりのブログ再開に、コメントとカラースターをくださった、
id:ss-sakuraさんの存在が目に飛び込んできた。


かなり以前から、お気に入りにいれてくださって、
検索迷子に訪問してもらえていたことに気づいていた。
でも、直接やりとりをしたことはなく、
ログを見ながら、ああ、今日も来てくれたんだと思いながら、
検索迷子の何が気に入ってくれているのだろう?と気になっていた。


コメントをくださったのを見て、本当に嬉しかった。
自分が書く言葉を楽しみにしてくれている人がいて、
再開のタイミングをキャッチしてくれて、
そして、声をかけてくれるなんて。


待っててくれたというのはおこがましいかもしれないけれど、
気にかけてくれていたということや、
私、ここで続けていったほうがいいんだよね?という、
温かい気持ちに包まれた。


書き手の私を知る存在からは、
ブログどうしたのとメールや電話をもらった。
それは近いゆえに心配してくれてのこともあった。


でも、ネットでしかつながっていない、
id:ss-sakuraさんのコメントは特別なものとして心に響いた。
この気持ちを忘れないようにしようと思って、
ブログにこうして書いている。

美しい人と人との力


会ったことのない、id:ss-sakuraさんからコメントを見ながら、
思い出した一遍の詩があるので、ご紹介したい。


茨木のり子(いばらぎのりこ)著、『六月』だ。
学生時代の教科書でなじみのある方もいるかもしれない。
六月が終わったときに、という感もあるが、
今の気持ちを表すのに一番いいような気がして選んだ。


おんなのことば (童話屋の詩文庫)

おんなのことば (童話屋の詩文庫)

   六月
        茨木のり子


どこかに美しい村はないか
一日の終りには一杯の黒麦酒
鍬を立てかけ 籠を置き
男も女も大きなジョッキをかたむける


どこかに美しい街はないか
食べられる実をつけた街路樹が
どこまでも続き すみれいろした夕暮は
若者のやさしいさざめきで満ち満ちる


どこかに美しい人と人との力はないか
同じ時代をともに生きる
したしさとおかしさとそうして怒りが
鋭い力となって たちあらわれる


どこかに美しい人と人との力はないか
同じ時代をともに生きる


というのが、ネットならではのつながりの楽しさで、
今日という時間を共有できる喜びが伝わる箇所ですね。


子どもの頃、黒麦酒(くろビール)を当然飲んだことはなかったけれど、
この詩からただよう開放感や、幸福感は伝わってきた。


時を重ねて、一日の仕事の終りの開放感を実感する年齢になり、
今なお深みをもって読める、この詩はすばらしいなと思う。


でも、今日は美しい人と人との力、という最終節が気になり、
ただ開放されようという詩ではなかったと気づいた。


最後の行には、
鋭い力となって たちあらわれる
とあるように、
開放された時間の先は、強さに向かうことなのかもと思った。
リラックスしましょうという内容ではなく、
それを糧として、これからもっと強く生きようという力強い詩だったのだ。


美しい人と人の力を信じて、
検索迷子をこれからも続けたいと思う。


では、また。