書いてないことはわからない

こんにちは、検索迷子です。


書面で何かを交わすことが怖いと思うようになってきた。
特に契約に関わるものは、大なり小なり、
裏切られたとか、そんなの事前に理解できなかったとか、
失望感を持つことが多い。


いや、失望くらいならまだいいのだが、
それがこじれて会社対会社の大がかりな交渉ごとや、
揉めごとまでにいくケースに多数巻き込まれてきた。


どれもが業務範囲だったり、金額だったり、
スケジュールだったりして、話題としては深刻だ。


パートナー会社もあれば、お客さまともある。
違う話題でなら、私自身の雇用契約にだってある。


サインをするということ、
業務を行うということ、
そういう重要なことだとわかっているから、
双方書面を交わすのだが、
たいていそういう書面は作成者側が有利なようにできている。
というか、有利にしたい側が作成を仕切る傾向にある。


だからこそ余計にサインする側、
承認する側、発注する側だったりするときには、
細心の注意を払わなければならない。


なぜなら、書いていないことはやらないこと、
書いていないことは別途見積もりや相談、
そういうワナがあるからだ。


受身で見る側には、書いていないものがそもそもわからなかったりする。
だから、書いていないからと主張されたり、
説明されたところで、
書いていないことさえ項目に挙げられない情報量の違いがあった場合、
本当に愕然とする。


本音と建前を使い分けてくれる人もいるが、
頑として書面通りの画一的な対応をする人もいる。
そういうこととの交渉をこれまでどれだけしてきたか。
営業要素のある仕事をして、
プロジェクト予算を管理する役割になってから、
これが一番大変な仕事だと骨身に染みている。


どんなにいい仕事をした相手とであっても、
共同作業をしてきたとしても、
この一点については各社とも事情があり、
お互い言いたくないことまでも言いながら交渉となっていく。


書面に残すだけではだめなのだと本当に思う。
自社に有利なようにあらゆる条件を洗い出しておける、
そんな経験が圧倒的に必要なのだ。


書いていないことはわかりません。
そういえればいいが、それで何も解決はしない。
自分が悪条件を常に飲む側にまわるしかなくなるのだ。それでは。



書いてないことがわからないなら、
書いておいたほうがいいことは全て追加してから話したほうがいいのだろうかと思う。



かといって、心配しすぎなのもどうかと思うが。
場数を踏み、落としどころを意識して書面を交わせるよう、
負けない自分でなければだめだと思う。


書いてないものならば、自分がわかるまで書いてしまえばいい。
それだけなんだなと思う。
交渉せずに全てが終わる仕事ならいいのに、
多くはこんなややこしいことに巻き込まれている。
そして、いろんなことが止まってしまう。


もっとスマートにきれいに仕事をしたい。
事後の争いまがいなものの調整より、
未来に向けてやることを考えていたい。


書面はばかにならない。
だからこそ、きちんと書いて、
関係者と約束しておくべきなんだろうと思う。



では、また。