いい仕事といい金額と

こんにちは、検索迷子です。


毎日といっていいほど、
お客様やパートナーさんと交渉ごとをしている。


それが今の自分のなかで求められている役割とわかっているものの、
ものづくりだけに集中していたころとは違い、
かなり神経が磨り減るような心理戦の連続だ。


作る段階の話だけなら誰しもが、それなりに温厚に進め、
あれこれとやりたいことの議論に集中できる。


でもいざ、支払いの段になると、
請求する側も請求される側も、自社の利益を確保するために、
穏やかに制作物の話をしていたとは思えないような、
かなりの厳しいやりとりに発展することがある。


私自身がそうせざるを得ないこともあれば、
相手の会社がそういう立場でくることもある。


いずれにしても、物づくりをするうえで、
目に見える単価ではない仕事の場合、
どうしても金額感の違いは溝が生まれ、
それはところどころで埋めていって伏線を張りながら進めないと、
最後の段階でかなりこじれる。
そういう経験も少なからずしてきた。


純粋に物づくりだけに集中できず、
金銭的交渉がこじれると、作ったものまでが穢れてしまうように思えてならない。
しんどいなと思っても、
このお金の交渉を含めて、回収を含めて、
自分の仕事なのだなとつくづく思う。


物づくりだけをしてきた人間としては、
物と同時にお金もという交渉は、
生々しく、かなりこたえることが多い。


お金はいくらでもいいとか、
いらないとかいえればいいのだが、
ボランティアではない以上、そういうわけにもいかず。


そして、いいものを作るにはそれなりに投資も必要で、
いいものにこだわりたいなら、
お客様にたくさんもらえるよう請求していくしかない。


こういう全てのお金の交渉がほんとにまだまだだなと思う。
社会人になって随分と時間が経つのに、
自分としては未体験ゾーンに入ったばかりで、
まだまだ苦労しそうだ。


物づくりだけやっていたいけど、
物づくりにはお金がかかる。
それを知っただけでも、何か視界が変わったような気がしている。


いいものを作りたいなら、
正当な価格で売れるよう、説得できるスキルが必要なことも。
一つひとつが発見であり、苦労の連続である。


しかし、自分のお金ではないのに、
なぜこんなに必死になっているのだろうと、
気持ちが引く瞬間もある。
それは相手の企業にとってもそうだし、
自社の役割としてもそうだ。


売上や利益にコミットしながら働くって本当に難しい。
スマートにやれるまで、あとどれくらいかかるのだろうかと、
途方に暮れてしまうが、
それでも自分でやるしかないのだと腹をくくっている。


物づくりを誰でも無償でできるなら、
自社である必要もないのだろう。
自社にお金を払おうと思う何かがあるのだとしっかり見極めようと思う。


プロとしてもらえるものをきちんともらえるよう、
交渉していかねばと思っている。
そういう役割なんだと自分に言い聞かせながら。
納得していきながら。


では、また。