最悪を予測しておく

こんにちは、検索迷子です。


担当している仕事が、クライアントの都合で大幅に延期となった。
普通なら慌てるところだが、意外と冷静に受け止めることができた。


作業としては結構大変だし、
人員確保とか、金額面の交渉とか契約関連とか、
やるべきことは山ほどある。


それでも、なんとなくこうなるだろうという覚悟のようなものがあったせいか、
それを聞かされたとき、やっぱりと思った。


拒絶から入るという意識を排除し、
オーダーに答えていこうという姿勢でやっていたためか、
またゼロベースで考えればいいのだとすぐに頭を切り替えた。


受託している以上は、どのみちコントロール不能なのだ。
達成するためのゴールの日程が変わったところで、
どのみちやり終えるまでは終わらないし、逃げ出せない。


特に今回はプロジェクトを統括する役割に自分がいるため、
自分が全ての責任を持って交渉に当たらねばならず、
誰も代わってくれないのだという気持ちが大きい。
どんなに困った事態があっても、どのみち自分が対処するしかない、
という開き直りもある。


予測していたことだっただけに、
方針変更のリスクは事前に十分していて相手方にも伝えていた。
それでも、最終的な判断がそれだったとしたら、
もう何も提案する余地はなく、作ることだけに集中する役割を全うしようと、
話を聞いたときにすぐにスイッチを切り替えた。


最悪を予測しておくことって、本当に大事なことだ。
自分がコントロールできないことは、
どんなに方向性が違うと思うことでも我を通せる度合いのものではない。


本当の最悪なことは、物が作れない、
期待通りに答えられないという自分たちの実力であって、
相手方のスケジュール変更ごときではないのだ。


やれるうちは、もう少しやってみようと思う。
少なくともプロジェクトメンバーの士気を下げないよう、
自分は元気で前向きであろうと思う。


途中でくつがえったあれこれは、
自分たちのせいではなく、
相手の会社の企業方針なだけなのだ。
自分たちが否定されたわけではないことだけが救いだ。


また、もう少し時間を積み重ねていけば、
きっとゆとりができた、質を高めるために必要な時間だったのだと、
あとで思えるような気がしている。


いいものを作るとか、
戦略や意思を統一するとか、
ほんとうに合意形成とは難しいものだと思う。


だけど、その制約条件を受け止められる力を持っていれば、
何がおきても怖くないのだ。
はねのけず、前へ進む。
それだけなのだ。


最悪を予測しながら、
最高を目指す。


それが自分に課せられた責任なのだ。
目的を見失わなければ、先に進むのは怖くない。


どんな困難にも、かならず学びや救いや遊び要素があるはずだ。
そうやって、明日からもやっていければと思う。


最悪を予測することは、
心の平静を保つのに不可欠なのだ。
そうやって、一つひとつ経験を積み重ね、
一日一日を過ごしていく。


それが、日常なのだ。
たいへんなことは何もないと、涼しげな顔で言いたいものだ。


では、また。