反応があることの喜び

こんにちは、検索迷子です。


私が検索迷子のブログを開設していることを知る人は、
ごくわずかで、両手で数えられる人たちだけだ。


だから、普段は知人に読まれるということを全く意識せず、
むしろ、特定な誰かにではなく、不特定多数の人たちに向けて、
書いている気持ちのほうが大きい。


これは、個人と特定されることによる表現の制約がないなかで書きたい、
と言う気持ちもあるが、個人としての名前を出す覚悟みたいな部分が
定まっていない点もある。


だけど、そういった守りたいものへの気持ちより、
仕事でのメールや企画書とは違い、
ターゲットを絞らないとか、
自分のスキルや素性を知られないなかで、
何ができるのかという挑戦的な意味合いのほうが大きい。


でも、そんななかで時折、
あれを読んでこういう感想を持ったよ、と教えてくれる人がいる。
普段読者を意識していないせいか、とても驚く。


そして、ごくわずかでも知人からこうした反応をもらうことが、
ささやかなブログを続けるモチベーションにもなるなと気づく。


自分が感想を強要しているのではなく、
相手の方が自発的に見に来てくれて、
感想を自分に伝えたいと思ってくれる。
その気持ちが嬉しいし、感想を言いたくなるような内容を、
ときどきはかけているのかなという指標にもなる。


だからといって、私はいまのところ積極的に、
検索迷子は自分のブログですと言いまわるつもりはないのだが、
それでも、親しくなったごく少数には伝えてもいいのかも、
そんなことを考えるようになっている。


反応がある、反応をしてもらえる、
それが、ネットの世界で小さく声を発している自分への、
大きなギフトになると思った。


毎日それなりの数のアクセスはあるものの、
やっぱり知人からのメッセージには数百のアクセス以上の意味がある。


ときどきでもいい。
否定でもいい。
自分が考えていることへの反応が、
ブログを続ける支えとなって、また自分の考えを深めてくれるのだと、
コメント一つひとつを大事に受け止めようと思った。


ブログを公開しているゆえの経験なのだから、
反応があることは自分の行動のたまものなのだなと思う。


ちょっとした一言でも、それを原動力として、
明日もまた書き続けていこう。


では、また。