こんにちは、検索迷子です。
それなりに有名な企業にいたとしても、
表面的な華やかな印象とは裏腹に、従業員は意外と地味だったり、
そんなに豊かとはいえない生活をしていることがある。
これは特別な例外ではなく、おおむねその傾向にある気がする。
社会的には認知されていて、
製品やサービスが有名であったとしても、
その利益は従業員に給与という形で還元されるのはまれだ。
業績連動型といってもたかが知れていて、
経営層に近い人たちはそれなりに高給かもしれないが、
実際の現場を支える末端社員や、従業員には特別な待遇はなかったりする。
それは資本主義では当たり前のことかもしれないが、
ときどき、作っているものが、
自分のプライドとは裏腹に、
利益として手に入らないジレンマを感じることもある。
たとえば、ある高級な製品を作っていたとしても、
そこの従業員の収入では手が届かなくて購入できないものがある。
作り手として、毎日なにかにかかわっていたとしても、
あるいはそのグループの一員であったとしても、
自分の手元にその現物はない。
というより、購入できる次元にないものがある。
これが、そもそも一般利用者向けではない法人販売のものなら、
それなりに納得がいくが、
消費者として買えるかもしれないのに、
自分の待遇では買えないというジレンマがある。
社名を名乗るとき、そのイメージから当然所有していそうなものでも、
実は個人としては競合メーカーのものしか手にできない、
そういったことも多々ある。
愛着心だけでは、購買意欲とかを支えきれないのだ。
現実に買えるかどうか、ということだ。
自社の製品が一番、近くて遠いのだとつくづく感じることがあり、
自分自身、買えないものを説明したり、作る不思議さを感じていたりする。
手にとれそうでとれない。
そんな気持ちが長く続くと、
自分って何でこれを作っているのだろう、
自分の手元にはいつくるのだろうと考えてしまう。
安価であればいいということでもない。
高価であったとしても、
それが普通に手に入るような、
そんな希望につながる待遇とか、仕組みがほしいと思ったりする。
意外とそうやって、
個人としては変えないものを作り、販売している人は多いのかもしれない。
それで納得できる人もいるだろうし、
理不尽な思いをする人もいるだろう。
自分としては、やはり買えるものなら本当は買いたい。
それがなかなか叶わぬ気持ちが、歯がゆくてならない。
ずっと他社製品で代替していくのだろうかとか、
ずっとそのアイテムを手にできないのだろうかとか、
そういう気持ちでいたくないと思いつつ、
現実はやはり、手にできないのだと思い知る。
近くて遠いのは自社でサービスなのかもしれない。
他人事のように、プレスリリースを見たりして、
でも社外の人には勧めている矛盾する気持ちに、
どこかで折り合いをつけている気がする。
それが社会の構造なのだろうか、そう思いながら。
では、また。