組織としての仕事

こんにちは、検索迷子です。


いくつかの情報サービスの仕事にかかわり、
いくつかのWebサービスに立会い、
忙しくなればなるほど、ふと冷静になる瞬間がある。


忙しくしている渦中は、作っているものの中身に入り込み、
愛着やプライドや成功させたいという思いや、
利用する方たちのことを考えて真剣になっている。


だけど、ふと一歩ひいて考えてみると、
これは組織の人間として受けている仕事であって、
私のものではないのだと実感することも多い。


組織のミッションとして成果を出すことと、
自分の人生や価値観は別物だ。
今やっているこの仕事は、
この組織の名刺があるからこそできることで、
私そのものの価値ではないし、
私の看板になることでもない。


もちろん、経歴の一部として語ってきたものもあるが、
辞めてしまえば自分とその仕事との関係は絶たれる。
過去形でしか語れなくなる。


過去の経験でも、ああ、あれねと言ってもらえるメジャーなものは、
それだけで覚えてもらいやすくはあるけれど、
自分の今のスキルを語るには、ちょっと違う。
過去の一時点だけのつながりだったものに過ぎない。


自社サービスならまだ、組織の一員としてダイレクトに制作に関わったといえるが、
間接的に請け負ったものの場合、その気持ちは希薄になる。


それでも作っている最中は、真剣そのものだ。
冷ややかな気持ちなど一ミリもなく取り組んでいる。


やがてこれが終わっていく、
やがてここから去っていく、
そういう区切りが見えたとき、
はて、自分には経験値があがったこと以外に、
このサービスとのかかわりはどうなっていくのだろうと考える。


数年後、1ユーザーとして、
再びそのサイトを使うだけの自分になっているのは、
なんとなく物悲しいものである。


あのとき、時間も生活も思いも全て投入し、
毎日がそれ一色だったはずなのに、今はどうして違う場所にいるのかと我に返る。


かといって、過去にすがりたいわけではないのだが、
オンタイムでその仕事に必死なときほど、
それは組織の仕事でしかなく、
自分の実力とは違うのだと冷静でいようと思う。


生涯関われる仕事が、ずっと同じなんていうことはなかなかない。
だからこそ、目の前の一つずつに真剣になり、
そして、入れ替わっていく自分の仕事を冷静に受け止めて、
そのなかから何かをつかんで進んでいこうと思う。


この仕事は私のものじゃない。
良くも悪くも、その気持ちは組織員として働く自分の指標となっている。
どんなに夢中に取り組んでも、
時間は過ぎて、変わり行くものがあるのだ。
そして、それはコントロールができないものだったりする。


組織の一員として仕事をすることを選んでいる以上、
自分の人生そのものを投げ出しても、
たぶん、むなしいだけだ。


だけど、真剣になれる時間にはきっと意味がある。
それだけは確かだ。


では、また。