不便でいいなんて

こんにちは、検索迷子です。


便利さに慣れてしまうと、
ちょっとした不便なことが理不尽に思えるときがある。


仕事上で使うツール、しくみひとつとっても、
何度かの転職を繰り返すことによって、
会社での導入状況や、定着度合いや、意識の持ち方や、
コストをかけてまでやることなのかといった感覚がまるで違う。


自分は比較的、これまでは便利さを追求して、
便利なものに囲まれてきたのだと、
そういうものがいっさいない環境に入ってみてわかった。


たとえば、数字を管理するためのツールや、
帳票を出力するためのしくみなど、
いったいいつの時代のものを使っているのかと、
その時代遅れ感にびっくりしたりする。


そして、マニュアルもなく、
個々人がメモのような手書きの覚え書きだけを頼りに、
そうしたルーチンワークをこなすことの非効率さに、
誰も声を上げないことにも驚く。


長くその組織に人が入っていないせいか、
全員が慣れと時間の蓄積によって習得したものを、
いきなり入った自分が覚えるのは本当に難しかったりする。


これまでの組織では、もっといい仕組みがあるとか、
ここをこうしましょうと改善提案をしてきたようなことでも、
旧態依然とした組織のなかでは声をあげる気にすらならないくらい、
全てが古いしくみのなかで動いていたりする。


たった一つの事務処理をやるのに、
膨大な時間がかかったり、
マニュアルがないせいか、全貌がわからないままメモを書いて、
そのメモすら役に立たないようなことがあったりする。


手順を覚えるほどの頻度でもないのに、
毎回やるたびに一から手順やツールの癖や、
ちょっとしたことをいちいち思い出しつつやらねばならない。


Webサイト上でやることについては、
ユーザビリティをとどんどんいえるのに、
企業活動の事務処理を大きく変えるのは、
社内の体制や硬直化した人たちが多い組織では難航するのだ。


なんでこんな事務処理にこんなに手間をかけ、
こんなにわかりにくいのかといらいらすると、
ますますその処理に時間がかかっていく。


便利さや快適さを追求しながら、
仕組みをどんどん変えることをあきらめたくないなと思う。


ただ、同時に便利になると職を失ってしまう人もいるのだと、
同時に組織のゆがみみたいなものも感じる。
効率化を提案することだけが、会社組織をわたっていく方法として、
最善とは限らないこともあるのだ。


不便でいいなんて、思わない。
便利になることのために、もっと頭を使いたいと思う。


それがたとえ、個人で責任の負える範囲のことであったとしても、
やりにくいことはやりやすく、
便利になるものは便利にしたいと思っている。


慣れてしまうことに、逃げ込みたくない。
それはものづくりをするうえでのプライドのようなものかもしれない。


では、また。