こんにちは、検索迷子です。
地震が起きてから、何か堂々巡りの考えに押しつぶされそうになる、
という声を聞く。
何か楽しいことをしていたり、おいしいものを食べたり、
それまでと同じようなごく普通の毎日を過ごしていても、
なぜか罪悪感にかられてしまうことがあると言う人もいる。
だけど、これはもう誰のせいでもなく、
どうすることもできないことなのだと、
冷静に受け止めていくしかない。
たまたま、今この時代に生きて、
たまたま、生活する場所が違うことで震災の影響を受けず、
だからといって、自分が悪いことをしているわけではない。
もともと、意識を向けていなかっただけで、
大なり小なり生活に困っている人は、
どんなときだっていた。
その人数が今はとても多いのと、メディアや映像によって、
情報がどんどん視覚がとらえてしまうから、気にもなってしまう。
だけど、今できないことだけでなく、
これまでも何も手助けをしてこなかった自分と、
何も変わってはいないのだから、責めてもしかたがない。
もちろん、生活スタイルを見直すということも大切だが、
たとえば、以前から困っている人を助けることだって、
今ならできる気持ちになっているならば、
そういう人を助けることだってできるだろう。
人に優しくすることは、何も被災した方たちに対してだけでなく、
そばにいる、隣にいる、身近にいる人にだってできる。
人にできることや、思いやりや、優しさは、
天災や事故がきっかけで気持ちが深まることもあるだろう。
だけど、それを実行するのは何も大きな出来事がなくたって、
小さな一つから始められることばかりなのだと思う。
被災地の方に何かをしたいという気持ちと同じくらい、
手を差し伸べて欲しいと思っている身近な人に目を向けるのも、
この機会に考え直したいと思う。
生活が困難な人は日本中いる。世界中にいる。
住む場所に困り、自由を奪われ、
心を通わせる人も支援してくれる人もいなくて、
今日を明日へと命をつなぐのがたいへんな人はたくさんいる。
意図せず、望まず、そういう日々を送っている人もいる。
小さな優しさをどこにかけてもいい。
誰かに優しさを向けられる目を持てた自分が、
今できることを、今できる人にしてあげる。
そういう小さなことから始めていければと思う。
大勢の方が苦しんでいる。
そして、その大勢の方とは違う場所で、
たった一人で苦しんでいる人もいる。
誰かの苦しみに、寄り添える人として、
優しさを与えられる人でありたいと思う。
では、また。