(23)SMAPの背中を支える、心の鏡の磨きかた

こんにちは、検索迷子です。


SMAPSMAPファンのかたたちの、いまこのときを過ごす気持ちを、少しでも軽くしたいと思って、今日は、「剛 しっかりしなさい!」のブログ運営者である、凪(なぎ)さんとのコラボブログ第23回を書こうと思う。


コラボブログ【SMAPとココカラ】(22) たいせつをと、コラボブログ【SMAPとココカラ】(19)心の鏡を受けての話題を書く。

木村拓哉さんの「背中を支えられるようになれたらいいなと」と言った重み

まず、熊本地震がらみのニュースの話題からするが、今なお余震が続くなか、現地のかたたちの安全を心より願いたいと思う。


木村さんが12日、熊本地震の被災地で支援活動を行ったニュースが報じられた。先んじて、中居さんも香取さんも被災地に出向いている。多忙な芸能活動や、さまざまな制約があるなか、何よりもその行動力に敬意を払いたいと思う。


木村さんが拡声器で発した挨拶に、私は当初、あれ?と思った。なんとなくニュアンスはわかるけれど、耳慣れない言い回しがあると思ったのだ。それで、どうして木村さんはこう言ったんだろうと、しばらく考えていた。

「日頃から、石原プロさんの行動力に魅力を感じていました。料理の方は多少自信があります。今できることを全力でやり、みなさんの背中を支えられるようになれたらいいなと思います」


ここで木村さんは、「背中を支える」と言っている。でも実は、慣用句的な言葉には、「背中を押す」はあっても、「支える」という言いかたはないのだ。それで、ああ、木村さんは被災者のかたに対して、前を向いていくために元気づけるという意味合いが強い、「背中を押す」という言いかたは今回は違うと、瞬時に思ったのかもしれないと気づいた。


長引く被災地生活のなかで、先の見通しもたたない不安や、愛する人を失った悲しみ、何よりも元通りにならない日常生活に、心身ともに倒れそうになっているかたたちが多い場所で、文字通り、心身ともに「背中を支える」気持ちになっているんだと思った。「気持ちを支える」だけではなく、「心」も「身体」も両方支えようと思うゆえに出てきた言葉だったのだろう。


「背中を支える」って、いい言葉だなと思う。「寄りかかっていいよ」というほどに、全面的に甘えさせてあげられるわけではないニュアンスのようだが、愛を感じる。


何よりも、「まずは自分でしっかり立っていこう。それでときどき疲れることがあったら、背中を支えてお手伝いするよ」という、自助努力もうながしつつ、だけどつらくなったらいつでも背中を支えるよというメッセージを感じる。がんばりすぎなくていいよ、ときどき息抜きしなよと言われているかのような、深い思いが伝わる。


そして、木村さんが本当に慎重に言葉を選ぶかたなんだなと思ったのが、「背中を支えられるようになれたらいいな」と、「願望」として話していることだ。


「支えます」と断言はしていなくて、あくまでも、「まだ支える力は弱いかもしれないけれど、全力で支えられるように努力します」といった謙虚なニュアンスなのだ。これだけ著名で、誰もを笑顔にする存在でありながら、だ。自分にできる範囲でベストを尽くすという言葉の選び方に、私は好感を持った。


タレントさんの被災地支援にまつわるニュースは、賛否両論を巻き起こしがちだが、私は、今回の木村さんの発言を聞けたことの意味は大きかったし、そのマインドを見習いたいと思った。


行動しないひとが、リスクを覚悟で行動しているひとたちを批判するのはおかしいし、行動しているひとたちの誰が良くて悪くてなんて、比べるものでもない。一つでも歩みを進めたひとは、それだけでもう美しい。


木村さんの発言を聞いて、中居さんや香取さんの思いも聞いてみたいような気もしたが、言葉の有無でもないような気がした。何よりも、被災地のかたたちの気持ちを一瞬でも軽くしているのだから、どちらも尊い行動には変わりはない。

SMAPの背中を支えるのは

木村さんの発言によってふと、SMAPの背中を支えているのは誰なんだろうと思った。人を笑顔にするお仕事をしているひとだって、ときどき微笑みが消えることだってあるだろう。


SMAPは「社会のインフラ」とも言われ、「みなし公人」とか「準公人」と言われるような立場におかれている。

みなし公人 − ニコニコ大百科(仮)

公人という語は、私人に対してある程度プライバシーが制限されるような人を指すものである。そもそもは公務に就いている政治家や検察官、裁判官、官僚や軍・警察幹部などといった官吏のみ公人と呼ばれうる。

しかし実際には、社会に多大な影響力を持っている、マスメディアに多く露出している等特別なステータスを持つものは、扱いも私人とは大きく相違する。そのような人々をまとめて、公人に準ずる人という意味で「みなし公人」と呼称することがある。


社会的に注目を浴びる存在であるSMAPは、もはや、社会の模範的な行動をすることが期待されるような役割になっている。言動、行動が逐一ネットニュースにあがるなか、心を平静に保ちながら笑顔でお仕事をされるのは、本当に凄いことだと思う。


だからこそSMAPはファンの存在が、「背中を支えてくれる」たいせつな存在なんだろうと思う。ガラス張りのなかで過ごすような日常で、表立って、唯一弱さを見せられる存在なんだろうなと思う。


ファンには、「応援してね」と言えたり、口にはしないけど「ちょっとつらくなったら、背中を支えてね」というような思いになったり、「何も言えないけど、メッセージをくみ取ってね」と暗号解読のようだったりするのだろう。


SMAPが発するSOSのシグナルはとても小さいけれど、少なからず、「ちょっと支えてほしい」という思いは、人間だから当然あると思う。そしてそれをくみ取れるくらい、気持ちに寄り添えているのがファンのかたなのだと思っている。

SMAPを心の鏡とするための、自分の心のありかた

SMAPを尊敬する対象として、その言動や行動を「社会の鏡、大人の鏡」のように見ているかたは多いだろう。鏡になるってどういうことなのか、あらためて考えてみたいと思った。


SMAPファンのかたたちに今日は、「子どもは大人の鏡」の詩をご紹介したいと思う。踏ん張り続ける毎日のなか、この詩で少しでも心穏やかな日々が送れることを祈りたい。


ドロシー・L・ノルテ著、『こころのチキンスープ』のなかの「子どもは大人の鏡」。
ダイヤモンド社、1995年7月刊より。

こころのチキンスープ―愛の奇跡の物語

こころのチキンスープ―愛の奇跡の物語

「子どもは大人の鏡」


子どもは、批判されて育つと
人を責めることを学ぶ


子どもは、憎しみの中で育つと
人と争うことを学ぶ


子どもは、恐怖の中で育つと
オドオドした小心者になる


子どもは、憐れみを受けて育つと
自分を可哀相だと思うようになる


子どもは、馬鹿にされて育つと
自分を表現できなくなる


子どもは、嫉妬の中で育つと
人をねたむようになる


子どもは、ひけめを感じながら育つと
罪悪感を持つようになる


子どもは、辛抱強さを見て育つと
耐えることを学ぶ


子どもは、正直さと公平さを見て育つと
真実と正義を学ぶ


子どもは、励まされて育つと
自信を持つようになる


子どもは、ほめられて育つと
人に感謝するようになる


子どもは、存在を認められて育つと
自分が好きになる


子どもは、努力を認められて育つと
目標を持つようになる


子どもは、皆で分けあうのを見て育つと
人に分け与えるようになる


子どもは、静かな落ち着きの中で育つと
平和な心を持つようになる


子どもは、安心感を与えられて育つと
自分や人を信じるようになる


子どもは、親しみに満ちた雰囲気の中で育つと
生きることは楽しいことだと知る


子どもは、まわりから受け入れられて育つと
世界中が愛であふれていることを知る


あなたの子どもたちはどんな環境で育っていますか?


この詩は、2005年2月21日に皇太子殿下が、自らの誕生日の会見の際に朗読されたことで一躍有名になったものだ。


この詩を読んだとき、後半に向けて気持ちが前向きになりはしなかっただろうか。少し解説をすると、この詩は、前半7連が「ネガティブ」な要素、「失敗例」から成り立っている。


そして、以下のところから「ポジティブ」な「成功例」に転化する。

子どもは、辛抱強さを見て育つと
耐えることを学ぶ

そのあとずっと、「ポジティブ」「成功例」をたたみかけるように続けている。そして、最後は「あなた」への問いかけで終わっていて、ここで、ふと我に返るような気分になると思う。


この詩はたとえば、次のように読める。
「私は、SMAPの辛抱強さを見て育つと
耐えることを学ぶ」


どう読むかを指定するのはナンセンスなことだが、もともとは子育てをテーマに書かれた詩で、子育てに無関係なかたに、こんなに素晴らしい詩が届かないのは惜しいと思って紹介した。


こうやって、視点とか主役や登場人物を変えて読むと、ぐんとふくらみを増すという読み方の提案として受け取ってほしい。


背中を支える側も、心の鏡を磨いていなければ、自分自身がもろくなっていて、支えきれないときがある。


そんなときにSMAPを思い描き、自分もまっすぐに立っていようと思えるなら、そう思えたときの自分の心の鏡はすでに、昨日よりピカピカになっていると思う。


私たちは、うっかり笑顔を忘れてしまったり、ネガティブループにはまったり、ぽろぽろと日々をこぼすように過ごしてしまったりする。


心の鏡を磨いてこそ、愛するものを支えられる強さが持てるということを、忘れずにいたいと思う。


なお、同書には以下のような内容もあるので、ご興味があればお読みください。
あなたは誰の鏡になっていますか
愛をふりまく
ただ、ほほ笑むだけで
幸福の度合を決めるもの
一直線に見つめるもの


では、また。

コラボブログの主旨

ブログ主旨については、下記にリンク先を掲載している。
【コラボブログ:SMAPとココカラ】(2)SMAPとファンは、もはや一つの組織の最下段、【コラボブログ:SMAPとココカラ】(4)木村拓哉さんの自己犠牲の精神の序盤で紹介している。