SMAPが『糸』で織りなした声

こんにちは、検索迷子です。


今日は、2016年6月13日のスマスマの「スマラブ」のコーナーで歌われた、稲垣吾郎さんがセレクトした、中島みゆきさんの『糸』を歌ったSMAPについて書きたい。

Singles 2000

Singles 2000

このときの歌への感想は、歌詞が持つ意味合いや、SMAPとファンを重ね合わせて、多くのかたが感動したとTwitterなどでつぶやいていると思うが、私は声に注目していこうと思う。


以前、SMAPさんの『雪が降ってきた』の息遣いと、SMAPさんの『Otherside』の重なる声の記事を書いたが、SMAPが5人だけで歌う歌をじっくり聞くと、その声の重なり具合に、どきりとさせられることがある。それで、この感覚って何だろうかと、自分がその理由を知りたくて、ここに書き残そうと思い始める。


ぐっと引き込まれるような気持ちになるのはいつも、5人だけで歌うときに限られている。たぶん、5人にしか生み出せない世界観がそこにあるのだと思う。

稲垣さんのコメントから、『糸』のストーリーは始まっていた

稲垣さんが好きな曲ということで選ばれた『糸』のため、稲垣さんのコメントからコーナーは始まったが、このコメントがとても良かった。稲垣さんは、「理由」とか「背景」を説明するのがとても上手なかたで、何よりも語彙力が豊富だ。


このコメントは歌収録後のものだが、歌の前のMCにもなるような効果的なものだと思った。SMAPはシンガーソングライターのかたがよくやるような、「歌う前に歌詞にどんな思いを込めて、どうメッセージを受け取ってほしいか」という、深い思いをまじめに語るような話はテレビ番組ではめったにしていない。


被災者支援とか、誰かにお礼を伝えるといった状況とは違うなかで、一つの楽曲をこれだけ具体的な説明つきで歌ったのは本当にめずらしく、稲垣さんのコメントにまず、ぐっと引き込まれた。


稲垣さんは、「人と人とのめぐり合わせによって、人生が開けていったり」と、誰もが『糸』に持つイメージ通りの解釈を話していたが、歌詞の最後「仕合わせが、幸せという字ではないことに引っかかって、どういう意味なのかと思って調べた」と話していた。


稲垣さんが言葉の意味を咀嚼した時間があったと聞いたことで、「人と人が逢うことによって、なにか、すべてが進んでいく」と話した言葉は、ずっと重みを増した気がした。


そして見所として、「いろんなかたがカバーして、いろんな『糸』があるけれど、ぼくらの糸は初めてなんで」と言い、「すごく、みなさんにメッセージが伝わるんじゃないかな」とまとめていた。どんな歌を歌う時も、そこで「メッセージを伝える」ことが自分たちの役割だと思っているところが、さすがにプロだなと思う一言だった。


この、「ぼくらの糸」という言葉がとても効果的に響いてきた。その直後に歌を聴き終えて、「ぼくらの糸」という言葉の通りのような歌になっていたと思ったのだ。

5人が織りなす布

これまで、ほかのかたが一人で歌った『糸』を聴いたことはあるが、5人、それもSMAPが歌うとこんなふうになるのかと驚いた。


一つのストーリーがこの一曲のなかにあるかのように、場面と感情が止まらずに動くかのような時間が流れた。この曲、誰かが歌っているのを聴くと、聴き慣れているせいか、一番と二番は同じ雰囲気で流れるのだろうと予測しながら聴いてしまうのだが、SMAPの歌にはそれがないうえに、むしろ糸がどんどん織られていき、紡がれて布になっていく時間経過までを感じたのだ。


また、5人のユニゾンもそうだが、ソロパートが本当に良かった。
具体的にパートごとの歌いかたについて、見て行こうと思う。


まず、一番を稲垣さん自身も「おまえ、ソロかっていうくらい」かなり長く歌っていた。
歌声がやわらかく安定していて、このまま一曲歌いきっても素敵だろうと思う歌声だった。たぶん、世の中の多くのかたの『糸』は、このときの稲垣さんのような「やわらかくて、上手な、糸」なのだと思う。確かにずっと聴いていたいと思った。


でも、そのあと4人が加わった歌を聴くと、5人でしか紡げない、別の『糸』のストーリーにぐっと引き込まれてしまった。


稲垣さんのパートを聴きながら、稲垣さんって息継ぎがはっきりと聴こえて、それがせつなさを生み出しているなと思った。いままで、声が柔らかいから甘い声に聴こえる思ってきたが、この息継ぎの「ふぁ」という音の聴こえ具合が、行間の雰囲気を作っているような気がした。


そのガラスのような、はかなげな声を、ユニゾンで全員が包み込むのがやけにほっとした。一人でせつない思いを抱えていたところに、糸を紡ぐように人と出会った瞬間という感じがした。


今回ちょっとした発見があり、実は、二番に入ると中居さんのユニゾンの声はそれほど聴こえないのだが、一番のユニゾンは、とてもクリアに「たぁてのいとは、あなた」の中居さんの声が聴こえる。よく見ると、中居さんはこの後、マイクを少し離している。


ずっと、中居さんはクセとしてマイクを離すのかと思ったが、MC経験が多く、マイクへの声の入り方と音の跳ね返り具合を一番知っていそうな中居さんが、どうして集音しにくい距離にマイクを離すクセがあるのか不思議だったのだ。


でも、これは実は、SMAP全員の声の重なりに自分の声がどれくらい入っているのかが、はっきりと「聴こえて」いるからこその声量調整なのではないかと思った。中居さんって、「SMAPの声」が心地よい音になるように、自分の声量で調整しているのではないかとすら、この瞬間思ったくらいだ。


そのあとの、中居さんのパートだが、「おぉりなす布は、いつか誰かをぉーん」というところが印象的で、中居さんの特に、低音から高音に張り上げるところの、カーンと上った感じがとてもいいのだ。これは、『雪が降ってきた』の「Woo」の箇所でもそう思って以前書いたが、声を絞り出すように出すときの中居さんの声は、ものすごく人間味があふれていて、歌詞通り「あたためうるかも、しれない」というように、声が温かいのだ。


二番に入り、私がこの曲を通して、一番どきりとしたのが、香取さんの声と表情だった。


香取さん、本当に歌がうまいんだなぁとしみじみ思ったのだ。いつも、パーンと弾けるような声の出し方をしている印象を持っていて気づかなかったが、柔らかい声音で歌うと、語尾がかすれず、きれいに伸びるしっかりした呼吸法による息遣いをしていた。最後の音までがとてもきれいだ。


香取さんは口の大きさから、「あ」がとても効果的に響くが、「まよったひの、あとの」の部分の、「た」と「あ」の歌い方が、せつない歌いだしのあとで、ああいつもの香取さんの「あ」の音だと、ほっとするような気になった。


でも、このあとなのだ。こんな香取さんを見たことがないと思ったのは。「ささくれ」と言っている香取さんの声も顔つきも、え、香取さんってこんなふうに、感情を乗せた歌いかたをすることがあるんだと思うような、はっとするような場面だったのだ。「さ行」は摩擦音で、もともと淋しい音を表現しやすい音なのだが、香取さんは声だけでなく、気持ちまでが入り込んだようにこの部分を歌っているように見えた。


次に草なぎさんのパートだが、歌の中盤に来て、草なぎさんの歌い方がちょっとした感情のアクセントを生む流れになっていた。失礼ながら、歌詞の「ころんだひの」という箇所が、草なぎさんの捻挫をほうふつさせて、一瞬、すごい歌割りだとくすりとしてしまった。


でも、「ゆめおいかけて」「はしって」という歌詞は、草なぎさんが自作の曲にも使いそうなフレーズだから、この歌割りが合っているなと思う箇所だった。


そして、注目すべきは香取さんと同じ歌詞部分での、声の出し方の違いだ。草なぎさんは、「日の、あとの、ささくれ」と、ブツブツっと切るように淡々と感情を抑えるように歌っているのが、やけに味があるのだ。また、跡を「あっとぅおの」独特の舌の滑らせかたによる音が、とてもいい。


木村さんのパートだが、一番で同じリズムを稲垣さんが歌っていたとは思えないほど、時間が経過して、人としての思いが熟成されたかのような力強い歌い方だった。木村さんが不安を綴った歌詞を歌うと、なぜか、絶対に乗り越えてやるという思いが乗っかっているように思える。


それは、木村さんが子音よりも、語尾の母音を上げる歌いかたをすることも大きいような気がする。たとえば「
いとがぁあ」「なんになるのぉお」「こころもとなくてぇえ」という感じだろうか。声量があるのもそうだが、この、語尾の力強さが、淋しい単語の歌詞であろうと、熱量を思い切り感じる一つの要素かもしれない。


同じように語尾をきれいに歌う香取さんの歌い方が、「がぁぁ」だとすると、木村さんは「がぁあ」と、母音をもう一度持ち上げているような聴こえ方がする。


この木村さんのパートの力強さのあとに、ユニゾンがきて、そして、最後に稲垣さんのソロになるのだが、この
歌割りの流れが素晴らしいと思う、ソロパートを踏まえた歌の流れを最後にまとめたい。


最初は、稲垣さんの少女のような儚さから始まり、中居さんの母性のような温かみが包み込み、女性的な一番から、香取さんの少年のような迷いに二番は続き、草なぎさんのちょっとぶっきらぼうな青年期への成長があり、木村さんのようなタフな男性に育った、というようなプロセスの経過を感じるところにある。


そして、そこでは終わらず、ユニゾンであらためて歌のテーマに立ち返り、「あなたと私」が縦横の糸で織りなし布になり、いつか「誰か」を、とここにいない存在をも含めて、愛が何重にも折り重なっていく様子を歌う。


最後に、稲垣さんのソロで終わったのも効果的で、「仕合わせと呼びます」と、まるで自分の心にそっと問いかけてくれるような歌い方で、あらためてここで、人との出会いをたいせつにしようと思わせてくれる。人と出逢うために、まず自分が一本の糸としてしっかりと生きなくては、という気持ちになる。


今回、この歌は多くのかたに、多くのメッセージを与えてくれたと思うが、私はこの、『糸』を歌うSMAPに魔法をかけられたような気分になった。わずか数分の間に、感情が揺さぶられるくらい、一つのストーリーがここにはあった。


SMAPは5人でどうやって曲を歌うかという相談はしなさそうだが、歌っているときのお互いの声を聴きながら、一つの世界観を作り出すような「世界観を合わせる」リレーをする能力が、本当に際立って優れているような気がする。お互いの波長を感じ取る力が凄いのだろうか。


これこそ、「逢うべきひとに出逢えた、仕合わせ」、と呼ぶのだろうか。


JASRAC「2016年JASRAC賞の銅賞」を受賞した楽曲

この『糸』について、中島みゆきさんの公式Twitterで、2016年5月27日に次のようにつぶやかれている。

https://twitter.com/miyuki_staff/status/736122021008941056
【ありがとうございました!】中島みゆきの楽曲「糸」が 2016年 JASRAC賞 銅賞を受賞致しました。1992年発表の楽曲ではありますが、今尚カラオケや結婚式等で多く利用して頂き受賞することが出来ました。皆様のご支援誠にありがとうございました。
#中島みゆき
#糸

この賞は、「前年度のJASRACからの著作物使用料の分配額が多かった国内の上位3作品」におくられる賞、つまり「よく歌われた歌」に対するもののようだ。
JASRAC ー 2016年JASRAC賞


もともとこの楽曲は、中島みゆきさんが知人の結婚式に向けて書かれた曲のようだが、いまや結婚式ソングの定番となっている。「晴れ」の場で歌える、明るめの楽曲がないとまで言われていた中島みゆきさんのイメージを
大きく変えた曲ともいえるだろう。

中島みゆきさんに対する思い

個人的なことだが、私が子どもの頃、初めて自分で電話をしてコンサートに行ったのは中島みゆきさんだった。自分の思春期を支えてくれた歌と言ってもいい。


自分がいつもお稽古ごとの発表会で使う、地元の小さなホールでコンサートをすると知ったとき、コンサートって都会のものだと思っていたのに、ここでやるの?と、いてもたってもいられず電話をしたことを覚えている。


一緒にコンサートに行ったのが、ふだんの友人グループではなく、他クラスとの合同授業で偶然隣り合わせた子とだった。どんな歌を聴くのと聞かれて、中島みゆきさんと言ったら、興味を持って聴きだしたようで、授業中、ノートで筆談しながら、こんな歌詞が良かったとお互いがお気に入りの言葉を書き合っていた。


その子は、いわゆる不良と呼ばれるようなグループにいて、自分の身体をときどき傷つけてしまうようなところがあって、知り合ったばかりのころは腕に目を向けられないほどだったが、中島みゆきさんの歌を聴くようになって、そういうことをしなくなったと話していた。歌には力があると、子どもながらに思う出来事のひとつだった。


もうひとつ思い出話を書くと、中学時代に、まだ新参者の中島みゆきファンの私に、古参のファンの同級生が、「中島みゆきの歌詞を理解できるの?」と聞いてきたことがある。


当時、体育会系気質が強かった自分に、歌詞の理解ができるはずはないと思ったのだろう。でもそのときから、私は私なりの歌詞の受け止めかたがあると思ってきたし、いまでは、こうしてブログに自分の感想を綴って、誰かに読まれることも恐れないようになっている。


もし、あのとき、私が自分の感性を否定していたり、感想を伝えることを恐れるようになっていたら、いまの自分はなかったかもしれない。


これらの出会いは、私にとっての「仕合わせ」の糸となり、今日の自分を作ってくれているのだと思う。


SMAPがくれたメッセージは、SMAPと自分が織りなす糸を感じるものでもあり、自分が誰とどのように糸を紡いできたのかを思い出させてくれるものだった。そして、未来、誰と出会って、誰のためになっていくのだろうかという希望も同時にくれるものだった。


SMAPが『糸』を歌ったあの数分間は、人との出会いを深く考えさせてくれる、心に染み入る時間だった。


では、また。