(37)草なぎ剛さんは空気を浄化する

こんにちは、検索迷子です。


検索迷子で、草なぎさんの話題を書いたことをきっかけに、SMAPをブログに書き始めて、ちょうど一年が経った。
2015-09-05 草なぎ剛さんの可動域
2015-09-12 草なぎ剛さんの指先


一年前、「ミュージックステーション」の『otherside』の草なぎさんのパフォーマンスに心を奪われ、衝動的にブログを書いた。自分の感動を誰かに伝えたいというより、自分がこれを書き残したい、記録したい一心でのことだった。


一気に書き上げてそれで満足し、もう二度と、エンタメとかアイドルの話題を書くことはないだろうと思っていた。


それくらい、自分にとっては未知の領域の話題を書いた日だった。草なぎさんの、このシーンの美しさを、今どうしても書き残したいと、出先で衝動的にノートパソコンを開いて、書き始めた瞬間のことすら鮮明に覚えている。書かずにはいられなかった。


この記事がきっかけで、私の人生は動いたといっても過言ではない。


自分が当時、アカウントしか持っていなかったTwitter上で、知らないうちに拡散され、数日後、たまたまブログのアクセス数を見て、カウンターが壊れたと思ったくらい、何が起きたのかという閲覧数に本当に驚いた。


そして、一年。
一年後の現在、SMAPをとりまく環境がここまで変化するとは思わなかった。あの時の新曲の『otherside』『愛が止まるまでは』以降、新曲が出ない、新たなパフォーマンスが見られない日々が来るとは予想だにしなかった。


だからこそ、一年のあいだ、少しずつでもパフォーマンスを書いてきた時間に意味が生まれてきたと思う。


一年前の『草なぎ剛さんの可動域』の後半、私は、「草なぎ剛さんの身体能力、どなたか分析してほしいと思います。」と他力本願に、誰かがパフォーマンスの美しさを書いてくれることを望んでいた。


でも次第に、意外にもSMAPのメンバーの素晴らしさの細かい点を、長文で書いた記事が世の中に存在していないという事実もわかってきた。


だから自分が書いた、「そんなところを大真面目に追求するの」というような、ミクロな箇所の美しさを書いた記事が、多くのかたに読まれてきたという状況も納得ができた。


自分の他力本願意識が変わったのは、ファンのかたたちのブログの感想や、励ましや温かさもあったが、自分がSMAPのこの部分をもっと具体的に知りたいという気持ちが枯渇しなかったことにあったと思う。


何よりも自分が一番知りたくて、誰に頼まれたわけでもなく書き始めて、記録したいという出来事がたくさんあった。だから、自分が書き残して読み返したいものは、誰かに任せるのではなくて自分で書くしかない、という気持ちを強くした。


自分よりももっといい内容を書くかたはいるだろうが、ほめ言葉を書く記事が一つくらい多くあっても邪魔にはならないだろうと思うようになってからは、あきるまで書こうと開き直った。


だから、一発屋のような思いつきの記事ではなく、できるだけ下調べもして、長期間かけて、ずっとSMAPの美しさを少しずつでも書き溜めようと思った。その繰り返しで一年が過ぎた。


瞬発力で書いたものが、いいと思って拡散されたりするよりも、いつ読んでもSMAPをしっかり記録している人間として、ファンのかたに長期的に信頼されていきたいと思った。そこを目指して、自分ができるペースで、自分なりの視点で書き続けてきた。


そうして、一年で100以上の記事を溜めてきた。これは、自分にとって大きな財産でもあり、同時にSMAPへの感謝の気持ちの表れでもある。書きたいと思わせてくれて、書かせてくれてありがとうと、毎回記事をアップするたびに思う。


つねづね、思いは形にしないと伝わらないと思ってきたが、少しずつでも同じテーマについて考えを深めていくことや、みなさんに読んでいただくことによって、自分なりに、どうやって書いていけばいいのか、思考を深めることができたように思う。

草なぎさんの不思議さへの疑問が、やがて学びと感謝へ

私はたぶん、草なぎさんに一生感謝し続けると思う。それは、私の未知なドアを開けてくれて、ファンのかたとのつながりとか、このブログをきっかけに仕事にも好影響が生まれたりとか、思いがけない方向に舵をきるような一年間をくれたからだ。


あのとき、私に魔法をかけるように、書かせてくれてありがとうございましたと、心からお礼を言いたい。


初期のころは草なぎさんのみの話題ばかり書いていたが、草なぎさんを観て書く段階で、SMAP五人の関係性も同時に観てると気づき、今では五人のことをできるだけ書こうと思っている。


それでも、草なぎさんばかりを書いてきた時期は、ある意味とても濃厚だったと思う。その理由は、私はSMAP5人のなかで、草なぎさんが最も自分との共通項がないかただからだ。何も似ていないからこそ、何もかもが新鮮に映った。


私自身、ブログでの書くトーンから冷静とイメージされがちだが、実際はそうではなく、とにかく熱く語るし、夢に向かって歩きたいタイプだ。よく喋るとは言われても、控えめとか、人見知りとか、引っ込み思案と言われたことはない。笑うときは、大口をあけて、真っ先にげらげら笑うし(一番近いのは木村さんのリアクション)、言いたいことははっきりと言う。


草なぎさんのたたずまいで、自分と似てると思うところは、皆無といってもよかった。でも、全くタイプの違う草なぎさんだからこそ、あれ、今のはどうして?と思うことが多かったのだ。


その、自分と真逆のところを見つめていく時間や、記録する時間に、自分はたくさんのことを学ばせてもらったと思う。


それでふと思った。自分に近い存在に目を向けるより、自分と遠い存在のひとのほうが、自分の本質を見つめる時間をくれるのではないかと。


私にとって草なぎさんは、似ている要素が一つもないからこそ、何もかもが物珍しく、食い入るように観てしまう存在なのだ。草なぎさんの言動や行動が、自分のなかで停滞した、思い込みのようなものを、まるで空気の入れ替えをしてくれるような効果が生んでくれていると、次第に気づいていった。見るたびに、「あーわかる」というより、「え、どうして?」といまだにはっとさせられる。


正直なところ、草なぎさんからここまで自分が何か影響を受けるとは、一年前は思ってもいなかった。自分が積極的に教えを乞うタイプとは思えなかった草なぎさんに、私は本当にたくさんのものをもらった。


会ったことのないかたで、ここまで自分の時間を動かしてくれるほどの影響力を持ったのは、草なぎさんが初めてかもしれない。

草なぎさんが持つ、空気を浄化する力

ということを、数日前から書こうと思っていて、スマスマの9月5日放送分を観ていて、私が持ったような「自分とは違う感性の人への、不思議な感覚」を、SMAPの4人はずっと持ち、そして草なぎさんの個性をつぶさないように接してきた、長い歴史があったんだろうなと思った。


これは、草なぎさんだけを「不思議な人」扱いした意味ではなく、五人とも、そうやって反発と受容を経て、リスペクトしあう現在があるのではないかということだ。


SMAP全員がそれぞれに長所と短所を、若い頃は認めにくかった時期もあるだろうが、やがてそれがその人なんだと許し、次第にキャラとして笑いに転化し、やがて本人独自の個性として認め、真似できないとリスペクトするところまで、関係性が昇華していったのだろうなと思う。


スマスマで、草なぎさんが橋下徹さんにギターを使ってイントロクイズを出すはずが、もはや鼻歌でのヒントになってしまうのを観ながら、こういう時間が笑いになっていること自体、大笑いにできていること自体が、かけがえがない関係なのだと思った。


もしかしたら草なぎさんは、表面的には穏やかに笑っていても、失敗した自分を悔いていることもあるだろうが、その草なぎさん自身の悔しさを、自己否定したり、ネガティブな記憶にさせない雰囲気を、SMAPは時間をかけて作り上げてきたのだと思う。


私自身、仕事という面で行けば、段取りをしっかりしたいほうで、発言や、仕切りや進行、反復による習熟度アップや、ゲストのかたへの注意などは、中居さんをお手本にしたいと思うほど、自分でも気をつけているし、後輩にも厳しい。


だから、草なぎさんの行動や言動を受け止めるときに、自分のコンディションがわかったりする。自分の穏やかさのバロメーターともいえるくらいだ。


草なぎさんはかっこつけたり、ミスを隠そうとしないかたなので、何かに失敗したり、言い間違いや段取りが自由奔放なことがある。それを、げらげら笑えているときは、自分は機嫌がいいなと思うし、心のなかで「どうしてこんなミスを?」と辛口な感想がわく時、「あ、今自分はゆとりを失くしている」とはっきりわかる。


草なぎさんの、ずるく生きようとしないがゆえの、真剣に取り組んだ結果のミスを「天使」とか「笑いの神様がいる」とか思えないときの自分は、心がトゲトゲになっていて、自分のなかの受容度が低下していると気づく。


そうやって考えると、常に一番ピュアなのは草なぎさんで、草なぎさんを辛口に観ている人たちは、心にチリが積もった状態にすら思う。


そして、草なぎさんのこういう場面を素直に笑おうとしたときや、笑えている自分を知って初めて、草なぎさんという存在の空気清浄機にチリを浄化してもらっているんだと、はっとする。


草なぎさんは常にずっと同じ状態でそこに存在し、邪気なくマイナスイオンを出し続けているのに、自分だけが俗世間のチリにまみれていたのかもしれないと、自分の心の狭さを反省したりする。


草なぎさんのことを微笑ましいと思っている時間は、確かに気持ちが穏やかなのがわかる。


すごいなぁと思う。そこに存在するだけで、押しつけがましいものはなにも発せず、内省を促してくれる草なぎさんという存在は。


私とはまったく違う接触距離、接触回数のSMAPのメンバーも、草なぎさんのいろんな場面をともにして、いまこの時期にでも、全員が大笑いをするような状況を作れるなんて、草なぎさんの空気清浄力の吸引力って、実はものすごい小さなチリまで吸い取るくらい、強力なんだろうなと思う。


こうして草なぎさんへの感謝とか、空気清浄力を書いているだけで、穏やかな気持ちになる。美しいものを美しいと書いている静かな時間は、私に活力を取り戻してくれる。


教わることが多いから、ブログを書き続けられるのだと思う。


言葉や行動は、直接響くほどわかりやすいものでなくても、自分の心の眼さえ澄ませていれば、しっかりと届くのだと、草なぎさんは教えてくれた。


これからも、草なぎさんに感謝しつつ、その美しさを書き留めていきたい。


一年間、書くことを止めないでよかった。
草なぎさんを書いてきた時間は、私にとっては浄化の時間で、そして書き溜めてきた記事は私の宝物だ。


そして、これからも一つずつ。
日々是精進。


では、また。

コラボブログについて

今日は、「剛 しっかりしなさい!」のブログ運営者である、凪(なぎ)さんのコラボブログ 【SMAPとココカラ】(36) ススメ! を受けて、コラボブログ第37回として書いた。


主旨について
ブログ主旨については、下記にリンク先を掲載している。
【コラボブログ:SMAPとココカラ】(2)SMAPとファンは、もはや一つの組織の最下段、【コラボブログ:SMAPとココカラ】(4)木村拓哉さんの自己犠牲の精神の序盤で紹介している。