SMAPの楽曲は、彩りを添えて進化し続ける

こんにちは、検索迷子です。


先日、(37)草なぎ剛さんは空気を浄化するで、私がSMAPをブログで書いて一年が経過したことを綴った。


この一年の自分の変化の一つに、SMAPのパフォーマンスやお人柄などを書いたのをきっかけに、あらためてSMAPの楽曲をよく聴くようになったことが挙げられる。


私が書いてきたことは、主にテレビのリアルタイム視聴だけだったので、CDもライブDVDもほとんど所有していなかったが、SMAPの各ラジオ番組を聴くようになって昔の曲を知り、今は少しずつCDの音源を増やすようになった。


いまでは、ブログを書くとき、身支度をしながら、お風呂に入ったりしながらと、延々と曲を流し続けている。


それで気づいたことが、二つある。


ひとつは、SMAPの曲は劣化しない、ということだ。
それどころか、どんどん、その時代にあった彩りが添えられて、今この瞬間にも成長していると思える楽曲が、本当に多いことに驚いている。


私は音楽に明るくないが、音楽に精通したかたたちが、SMAPの楽曲の良さを語っているのはよく拝見していた。もともとSMAPの楽曲は、その時代の最新のテイストであり、旬なアーティストのかたの提供曲だったりして、音楽的な素晴らしさが保証された環境で、商業的に力を注いで制作されていたから、ある意味当然なのだろうと思っていた。


だから、あえて今、昔の曲を聴かなくてもいいかと、わざわざ聴こうとしない時期もあった。


素人の自分は、このサウンドとか、どこどこのテクニックとかそういうことはわからない。


でも、心地いいかどうかはわかる。
幸せな気分になれるか、せつない気持ちになるか、明日もがんばろうと思えるか、その曲がくれるメッセージはわかる。そこには正解はなく、自分の感性で受け取っていいという自由度がある。


ヘビーローテーションで10枚くらいのアルバムを毎日聴きながら、あ、この曲のここが好き、というシンプルな思いをずっと持っていた。


でも、そんな自分が少し不思議でもあった。
極端な言いかたを承知で書けば、私、10代のアイドルの子たちが、アイドル感満載で歌っている曲を、何の違和感もなく受け入れてる、と。


それどころか、よし、今日もしっかりと生きようとか思ったりする。


心地良く曲を聴いた後、ふと我に返り、アイドルの10代の男の子の声にパワーをもらえるなんて、なぜ、こんな気持ちになるのだろうかと、ずっと不思議な感覚があった。


それで気づいたことの二つめが、若かりしSMAPが歌った幼き声さえ、聴いていて恥ずかしくならないという事実だ。


声の幼さ以上に、歌が発するリズムとか、歌詞の良さの立ち上がりが、声の幼さが気にならなくさせているということだった。


たとえば、自分が子供のころ、同世代か少し上の「いかにもアイドルの曲」という歌い方や歌詞のものを、大人になってから聴くと、「あー、いかにもアイドル曲だ」とか、「昔、この曲を聴いてこうだった」とか、気恥ずかしさや懐かしさのほうが先に立つ曲がある。


バラードなどは時間が経過しても、そのまま受け取れる曲はあるが、少しはじけた歌などは「あの時代はこうだった」という過去の思い出の色のほうが濃くなることがある。


アイドルアイドルした曲は、カラオケで歌うにしても、ウケ狙いでふざけて歌うような曲、それがアイドルの曲だと思っていた。


でも、SMAPの曲にはそれがない。
録音されたのは過去かもしれないが、昔の曲を今聴いているという感覚がほとんどないのだ。


なぜなんだろうと考えたら、彼らはどの楽曲にも、自分たちの今のエッセンスを注ぐ力が極めて高いからなのかと思った。


過去にリリースした楽曲の、時代や時計の針を動かし、常にそれを最新の記憶に塗り替えてきてくれたのがSMAPのパフォーマンスだったんだと気づいた。彼らは歌手でもあり、役者もするエンターティナーとして、新曲発表時よりもある意味斬新に、昔の曲を、今この瞬間のテイストに、リメイクし直す能力に優れているのではないかと思う。


それも一人の力ではなく、5人の息の合わせかたの絶妙さ、ユニゾンの完成度の高さが彩りをより添えているのだろう。


もちろん、昔のスマスマのエンディングトークで、曲への思い入れや感想を聞いてきた記憶が、曲のメッセージ性をより大きく受け取っている点は否定しない。だけど、たぶん、あのエンディングトークを聴いていないかたでも、SMAPの楽曲は、今、受け入れられるものがある。


テレビで何度か繰り返し歌ってくれたのもそうだろうが、ライブに行ったのも昔のたった一回きりで、映像も持っていない自分が、わずかな接触機会だけで、SMAPの曲をそのときどきの時代のものとして、受け止め直してきたことに気づかされる。


あの時代を思い出す歌だね、という感覚ではなく、最新の彼らが歌った様子こみで、いまの彼らの曲なんだと、自分の記憶も最新のものに塗り替わり、歌のメッセージ性の受け止め方も随時更新されていく。


いつ聴いても、今の曲になるなんて、SMAPの歌はいったいどんな魔法が仕掛けられているのかと、驚かされることがある。


『Can't Stop!! -Loving-』は聴けば聴くほど深い

具体的な曲名はたくさん挙がるが、今日は最近特によく聴いている、25年前のSMAPのデビュー曲『Can't Stop!! -Loving-』のことに触れようと思う。


この曲は、ここ最近で一番印象が変わった曲だ。もともと曲に着目したのは、2年前の27時間テレビや、スマスマの50曲ノンストップメドレーだっだが、25周年のお祝いということもあり、最近ずっと気になる曲になっていった。


いま手元に、『SMAP001』のアルバムがあるが、このアルバム、最初と最後のボーナストラックとして、2回この曲が流れる。

SMAP 001

SMAP 001


聴き始めた当初、声の幼さや歌い方の荒削りな部分が気にならなくもなかったが、この曲にまつわるエピソードなどに触れるうちに、次第に曲そのもののメッセージ性を、素直に受け取れるようになった。


歌詞のシンプルさが、聴けば聴くほど味わい深く、このシンプルさをそのまま受け止められる自分でありたいと思わされる。


歌詞がクリアに聞けて、言葉が生き生きとしている。彼らは、それを25年も続けてきた。彼らは何を歌っても、歌詞をクリアに発し、聞き取れない単語がないというのも、実は凄いスキルなのかもしれない。何を聴いても聴きやすく、何を聴いても何の歌か、すんなりと入ってくる。



SMAPの曲は劣化しない。それどころか、常に今の彩りを添えて、私たちの前に差し出される。
そして、SMAPを聴いていると、誰かに言うことが恥ずかしいどころか、伝えるものを伝え続けて、進化させてくれるアーティストとして、リスペクトする存在なんだと思うようになった。


SMAPの曲がSMAPのパフォーマンスで、永遠に最新のテイストや、最新の記憶に更新されないような、そんな凍結されたみたいな、過去の楽曲にしたくないという思いを強くする。


誰かが歌い継いでくれるのもたいせつなことだが、5人、6人でしかできない、オーディエンスを幸せな思いで満たすあの時間は、SMAPにしかできない。


SMAPが歌う楽曲を直接聴くことで、私自身、大人というバリアを脱いで、シンプルにメッセージを受け取ろうと、自分が自分を縛っていた鎖から解放されたように思う。


いくら音源が残り、楽曲がこの先も癒してくれようとも、楽曲が成長しないような、記憶の完全凍結など望んではいない。


SMAPに歌い続けてほしい。


なお、25周年のお祝いブログは、また別に書こうと思っている。


では、また。