組織の駒と実感する時

こんにちは、検索迷子です。


過去に在籍していた会社を辞めて少し時間が経過し、
自分がいたポジションに人が補充されたと知ることがある。


辞めた直後ではなく、少し時間が経過してからと聞くと、
やはりたった一名でも不足することによって、
会社って回らなくなるものだなと思ったりする。


そして、こういうことを知ると、
ああ、組織って自分を採ったのではなく、
この程度のスキルの人間を一名、という感覚で採用しているのだとわかる。


自分が必要とされていたわけではなく、
人員という感覚なのかなと思って、冷静な気持ちにさせられる。


自分がいなくても組織は回るということを、
こうやって改めて知ると、
じゃあ自分ってなんだったのだろうと以前は思ったかもしれない。
だけど、今はあまりそう思わなくなっている。


自分にとって辞めた会社が通過点で、過去であるように、
会社にとっても辞めた社員は過去の在籍者に過ぎない。
だから、当然、人が足りなければ補充もするだろう。


自分は組織の駒だと思うことが、
凄く卑屈な考えだと思っていたこともあるけど、
今は、それが事実だと受け止められるようになってきた。


新卒か中途かでも違うと思うが、
最近思ったり、聞くのは、
採用された部署から社内異動が今は容易ではなく、
採用された部署で辞めざるを得ない場合は、
それは退職を意味することが多くなってきた気がする。


新卒ならば配置転換も育成のためにあるだろうが、
中途の場合、ワンチャンスしかないことがある。
よほど、会社への執着や帰属意識を見せていかないと、
社内異動の余地はあまり大きくない。


だからこそ、たった一度のチャンスでミスマッチが生じた場合、
採用された側が退職するしかないことになる。
理不尽だなと思うこともあるが、
自分も会社側もそれで幸せなこともある。


引き止めということは中途で若年層でなかったり、
よほど会社側に必要とされている人材以外は、
随分と減っているようにも思うが、それも企業の人を大切にする気持ち次第だろう。


組織の駒でいいと割り切れる人は、
社内異動という選択肢すら考えず、辞めることもあるだろう。
今は、どこの会社でということよりも、大切なものもあるのだから。


組織の駒であるのは、考え方一つで、
次に進むチャンスにもなるし、
居残る開き直りにもなる。
どう考えるかは、その人の描く未来次第なのかもしれない。


では、また。