断られることに慣れる

こんにちは、検索迷子です。


断られるということが、拒絶だと思っていたことがあった。
でも、それはたまたま条件が一致しないだけのことで、
自分を否定されているわけではないのだと思うようになり、
随分と気が楽になってきた。


そしていつしか、たいていのことは断られるかもしれない、
という覚悟を決めて臨めば、依頼ごとや交渉が怖くなくなってきた。
もちろん、ベストは尽くす。
でも、相手は自分とは違う思惑や利害関係のもとで、
たまたま今、自分と対峙しているだけであって、
その人が、私に断りたいのではなく、
対組織として断ろうとしているのだとわかってきた。


だから、相手を憎んでも、組織を憎んでも何も始まらない。
たまたま、断りの言葉を口にするのが特定の人であっても、
それはもう、縁がなかった、タイミングが合わなかった、
条件がそぐわなかったということだけなのだ。


断られることが、怖くなくなってからは、
受け入れられたらラッキーという気持ちで臨み、
受け入れてくれた人への感謝の気持ちが以前より大きくなった。


多くの人が断ることであればあるほど、
チャンスをくれた、理解してもらえた、心が通い合ったと、
気持ちが弾むようになった。


受け入れてくれるはずだという考えをしていたころは、
断り一つで、どーんと落ち込んだものだが、
断られる可能性がかなり高いと思っていれば、その傷は浅い。
そして、立ち直りも早いし、尾を引かない。


よし、じゃあ次に行こうとさっさと気持ちが切り替えられる。
これは、あきらめではなく、確率の問題として、
受け入れてもらう可能性が低いのだというところから始めれば、
大半は断りだろうというところからスタートできて、
余計な悩みを抱えずに済むいい方法だと思った。


たぶん、営業職の方たちは日々こういう経験を積み重ね、
そして、受け入れてもらう会話術を見につけ、
次第に断られる回数を減らしていっているのだろう。
それだって、よほどの人でない限り、100パーセント交渉がまとまることは、
たぶんないだろう。


断られることに慣れる、
断られたことに次の対策を考える、
その繰り返しで、多少の傷を負いながら、確率をあげていくしかないのだろう。


断れることが怖くて、視野が狭まるくらいなら、
断れ続けることで、相手から反省すべき点を学ばせてもらえるなら、
それは十分に次へとつながるチャンスになる。



今もっていないものを手に入れようとするなら、
誰かの協力を求めないことには始まらない。
だから、誰かに依頼をする。
依頼をすることを止めてしまったら、
今いる場所や環境や待遇で我慢するしかないのだ。
今よりいいものが欲しいなら、断れてもいいから、頼めばいいのだ。


私自身、最近は断ってくれてありがとうと思うようにしている。
その縁は生まれなくて良かったのだ、
私がやらなくても良いというサインなのだ、
そこに飛び込むのは危険だったのだと、
運命が誘導してくれたのだと思う。


断れることなんかより、
変われないこと、
光が見えないことがもっとつらいことだ。


目先の小さな心の傷くらいで、
成し遂げたいことをあきらめてはいけない。


断られたっていいじゃないですか。
だって、何も失っていないから。
もともと、手に入れてなかったのだから。


さあ、次。次。


自分がすべきことは、まだまだたくさんあるって思えることほど、
意欲が湧き上がることはない。


断られて、それで人生が終わるわけでもあるまいし。
元気出していこう。


では、また。