こんにちは、検索迷子です。
熱意があると言われる。
熱心に話すと言われる。
話が得意で、武器だと言われる。
人と話したり、説得したりすることが中心の仕事になり、
一日中席に座り、メールやデスクワーク中心だった仕事をしていたころ、
自分が他人からそう見えるなんて、
まるでわからないことだった。
喋るのは喋るかもしれないが、
得意ではない。
むしろ、喋るのが下手だからこそ、
事前準備をしてストーリーを頭に叩き込んだり、
資料を用意したり、
同行する人に裏をとりつけたり、
自分の話の足りないものを補っておく。
熱意がある、熱心というのも、少し違う。
一個人としてやる気がないことは、正直多い。
なぜこんなことをやってるんだと思うものもある。
でも、少なくとも、
自分から仕事を依頼する先の人たちには、
真剣に仕事の意義や、
あなたに頼みたい理由をしっかり伝える。
ネガティブな気持ちは封印して、
自分の仕事をたのしんだり、やりがいを感じてもらいたいと思う。
熱心に話すのも、ハートがあついからではなく、
この人にやってもらわなければ、困ってしまう、
そんな理由だったりする。
熱意を持ち、
熱心になれる仕事は、
組織にいる以上、そうそうやってこない。
ほかからみたら華やかな仕事でも、
プロジェクトを回す自分は、納期やコスト、
人員手配で熱意だけでは仕事ができないのを痛感してる。
熱意がある、熱心だといわれる裏で、
熱をまるで持たず、
策ばかり考えている自分がいる。
冷めてる、やる気がないと言われるよりましかもしれないが、
自分の実体とかけ離れているのは確かだ。
仕事が込み入れば込み入るほど、
思いだけでは物は作れないと知る。
思いがなければ、いいものは作れないが、
思いだけではだめなのだ。
熱意と熱心と言われ続けてみて、
余計に冷静に策を練る力の必要性がわかった気がする。
では、また。