多様性を認める会社へ

こんにちは、検索迷子です。


転職を何度かしてみて、
異なる年齢層や男女比、学歴や職歴や雇用形態の違い、
国籍や国際結婚をしている人、海外留学や就業経験、
お子さんがいる人、介護をしている人、といった、
いろんな人と出会って、時間をともにしてきた。


でも、なぜだか不思議なことに、
企業には企業の好ましいとする人材や、
伸びていきやすい人物像などのカラーが出ていき、
そういう似たもの同士だけが結束を固め、
声の大きい集団としてできあがっていくことがある。


それはそれで、波に乗れた人は、
その会社に合っているので快適そうである。


でも、その企業カラーに染まれない人、
異端児となっていく人も、同じだけ存在する。
決して能力がないわけではない。
でも、浮いてしまうことがある。


たとえば、残業をいとわない人のなかに、
プライベートの時間を確保して趣味や将来のために使いたいとか、
家族と過ごしたいという人は、
早く帰宅しにくかったり、ひどいときは手抜きをしているように思われてしまう。
それがたとえ、裁量労働制の会社であっても、
自己管理することは許されず、横並び残業を強いられることもある。


労働時間だけでなく、仕事の進め方だってそうだ。
一から十まで同じ手順にこだわるところもあれば、
結果さえ出せば、手段を問わないところもある。



どっちがいいとか悪いとは一概には言えない。
でも、声の大きい存在が望む方法とは違った形で、会社に貢献できる人はいる。
けれども、管理者が好ましい方法でないというだけで、
こういう人を受け入れたり、長所を認めていけない、
認めようとしないところがある。
ひどいときは、非難の嵐になる。


人と人は違うのだという原点に立てば、
誰もが手中に納まるような、簡単な管理などできはしない。
ということをなかなか理解できない人もいる。


最近、立て続けに海外で働いた経験がある人と協同作業をして、
なんと自分が視点が狭いのか、
組織という枠組みだけで物事を考えてきたのか、
つくづく思い知らされている。


日本で、似たような価値観で、
似たような経験で、同じくらいの年代で、
といった偏った世界で生きていると、
たとえば自分より年齢が上で、性別が違う人とか、
人事体系などあってないような会社にいたような人は、
もはや、共通項がなかったりする。


共通項がなくても、一人ひとりの個性や持ち味や、
職業経験の豊かさや、思考のバランスのよさや、
フットワークの軽さは十分に感じる。
それはとても素晴らしい、その人の力だ。


だけど、ああ、組織では認められにくいだろうなと思ってしまう。
本人も居心地が悪そうにしていることもある。
つくづく、どうして、こういう存在が排除される会社組織が多いのかと思う。



会社になじめない人は、本人が悪いというよりも、
何か組織風土自体の硬直性にあるように思えてならない。
いい人材をと思う前に、いい人材をつぶさない現状の組織、
柔軟に人材を受け入れて、能力を引き出す体制、
異端とも言える人をむしろ楽しめる度量がほしいと思う。


新しい人がもしすぐ辞めてしまう組織があったとしたら、
悪いのは辞める側だけではない。
辞めさせてしまう、排除してしまう元からいる人たちにだって責任はある。


誰もがいい面を持っている。
誰もが、その人ならではの経験をしてきている。


角度を変えて接していけば、
誰のどんな部分だって、組織の力になる。


ちょっと変わった人とレッテルを貼って、
人の長所を見抜けない、引き出せない似たもの同士の組織の成長は、いつかは止まる。



自分とは全く違った経験を持つ人から学ぶことのほうが多い。
似たもの同士ができることといえば、せいぜい同じ愚痴を言い合い、
同じような仕事のレベルに満足できることだけだ。


今よりももっといい仕事を目指すなら、
自分にない力を持っている人と仕事をしてみることだと思う。
特に、どんな組織でも、
もともといる人たちより高いキャリアの人を使いこなせず、
排除する傾向にある。


悪いのはその人ではない。
異質を同質に変えられない空気だ。



多様性を受け入れられるようになることで、得るものは大きい。
誰だって、絶対に優れた能力を持っている。
何一つできることがない、長所がないという人はいない。


みんな違うんだ。
だから、引き出し合い、認め合い、高めあうことができる。


染めるだけが組織ではない。
染まらないでも、寄り添い合えるのだと思う。
その努力が必要な会社や組織は多い。


知っておいたほうがいい。
いずれ、自分だって、どこかにいけば異端児になるかもしれないのだということを。
今、自分中心で組織が回っていると錯覚している人ほど、
もうどこにもいけず、他では、きっと浮いてしまうと思う。


いろんな経験をして、いろんな組織にいた人ほど、
軽やかに他人を認めてくれて、一緒に仕事をしやすい。
一社、一つの組織、代わり映えのない同僚とずっとずっと一緒の人は、
ときどき、換気するかのごとく、多様なキャリアの人と接してみるといいかもしれない。


人の良さに気づけないほど、視界が狭くなっている。
そんな自分の半径数メートルの日常は楽しいだろうか。
私の常識は、世界の常識ではないと思うだけでも、
人との接し方は換わるような気がする。


誰もが一生、主力メンバーではない。
いつか自分が異端児扱いされないとも限らない。
10年先、今の職場で同じポジションで働ける保証なんてない。
だとしたら、どうするか。


いろんな人と、協働して多様性に対応できるスキルが、
今まで以上に必要になってきたなと思う。
自分とはまるで違うタイプの人を、どうしたら認めていけるだろうか。
それこそが、自分の未来を開く力になるような気がする。



では、また。