形を整えること

こんにちは、検索迷子です。


効率化とか共有化とか、定型的な仕組みといったことと無縁の組織にいる。
こんな経験は今までしたことがなく、面食らうことばかりだ。


理由はいろいろあるだろうが、
職人気質といえば聞こえはいいが、
年齢層が大幅に上のため、人と人とのつながり重視で、
声をかけあえばなんでも成立することも大きい。


従来の組織ではマニュアル化、電子化、フォーマット化されていたようなものが、
ほぼ皆無といっていいほどない。
必要なときは、誰かに声をかけて、対面で教えてもらう。


そういう人と人とのつながりもいい面はあるが、
こと、事務手続きに関してとか、
毎月の決まった処理に関してとか、
ルーチンワークに関してのノウハウが全て人から教わるしかない、
というのは逆にとてもしんどい面もある。
自習や反復がしにくく、一度教わったくらいでは覚えられない、
ものすごいシステムを無理やり使っていたりするものもある。


かと思えば、スマホタブレットPCを持って外出したりして、
さも形が整った企業であるかのような一面もある。
個人としてはどんどん、効率化を促進するツールを使っているものの、
組織の仕組みとしてそれは根付かない。


なぜこんなにいろんなことの効率化が進んでいないのかと考えて、
ああ、そうか、技術者がいない会社なのだと思い当たった。
私がかつていたところは、大量の技術者がいたため、
業務ツールの効率化はとても進んでいたのだと今にして思う。


文書で何かを残すことの習慣一つとっても、
技術者がいるかいないかでもこんなにも違うのかと思う。


形を整えても解決できないことや、
コミュニケーションが進まないこともあるが、
形が整わないことにより失う時間や情報の濃淡やズレは大きい。


今自分が人から教わっていることを、
誰かに教えたり、引き継ごうと思ったとき、
時間とか経験でしかカバーのできないことばかりで、
そして、口頭の引継ぎばかりで、
自分から誰かに引き継ごうとするとき、
あるいは突然辞めようと思ったとき、
その伝達すべき情報量にがくぜんとする。


形を整えることの意味を改めて考えていかないと、
体得する、覚えておくことばかりの連続に、
本来やるべきことにシフトすべき時間が生み出せなくなる。
事務処理に時間をかけることに意味はないはずなのに。


形は自分だけの意志では整わない。
賛同者を集めて、形を整える意思統一をしてこそ、
大きな岩を動かせるのだと思う。


形がないものを形にする。
形を整える。
その大切さを痛感する毎日である。


では、また。