『ゲゲゲの女房』試写会

こんにちは、検索迷子です。


映画『ゲゲゲの女房』の試写会に少し前に行ってきました。
今日は、その感想を書きます。
映画『ゲゲゲの女房』の公式ホームページはこちらです。

作品の背景と関連情報


この作品は、『ゲゲゲの鬼太郎』の作者である水木しげるさんの、
奥様である武良布枝(むら・ぬのえ)さんの、
自伝エッセイ『ゲゲゲの女房』を原作としている。

ゲゲゲの女房

ゲゲゲの女房



NHKの朝の連続テレビ小説で放送されていたので、
おなじみの人もいるだろう。
テレビ版は、松下奈緒(まつした・なお)さんと向井理(むかい・おさむ)さんが演じ、
好評だったようですが、私は一度も放送を見ていなかったため、
まっさらな状態で事前知識もなく映画を観た。
もうDVDになっていたのですね。

ゲゲゲの女房 完全版 DVD-BOX1

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映画『ゲゲゲの女房』の感想


映画のキャストは、
吹石一恵(ふきいし・かずえ)さん、クドカンこと宮藤官九郎(くどう・かんくろう)さんによるものだった。


この映画は、
売れない漫画家である夫を献身的に支える妻の視点で描かれたものだが、
漫画家として売れた水木しげるさんの単なるサクセスストーリーとは異なる。
自分の才能を信じる、相手の才能を信じる、
漫画を世の中に送りだすために、日々の暮らしを通して、
パートナーと心を通わせていくプロセスが丹念に描かれている。


吹石一恵さんはお見合いからわずか5日で結婚して、島根県から上京して、
何もわからないまま、夫と心も通わず不安な日々を過ごした妻の気持ちをよく表していた。
毎日の食料にも困る貧乏な生活のなか、
けなげに前向きに夫の才能を信じる妻を演じていた。
昭和30年代、不安定な職業の夫を支えるのはどれだけ大変だったことだろう。


この映画で私が最も心を奪われたのは、
宮藤官九郎さんの昭和を醸し出す役作りだった。


痩せた体型に、戦争で失った左腕のない姿の立ち振る舞い。
右手だけで体を傾げながら漫画を書き続ける姿。
ストイックに描き続けるその姿は、宮藤官九郎というキャラクターを意識させないものだった。


何かを創り出す人は、存在そのものがかけがえのない財産だと思う。
水木しげるさんもそうだし、
演じたクドカンさんが、脚本家であり、演出家でもある作り手だからこそ出せる、
その演技の威力も大きかった。

夢のために何を犠牲にし、何を守るか


暗い漫画は売れないと言われても、
妖怪以外の依頼があっても、
妖怪を描くことこそ自分のやりたいことだと貫き通した意志の強さ。
お金とは引き換えに自分を売らない、その強い気持ちをとても感じた。


水木さんは、昭和の頑固オヤジの一般的イメージとは違い、
片腕をなくすような生死をさまよったからこそ、精神的に芯が通っていた。
貧乏でも命まではとられませんからと、
ハッハッハッと笑い、ひょうひょうとした言動をとる。


でも、時折、猛烈に熱にうなされたように、
漫画に怒りをこめたり、思いを発散したりしていた。
そして、質屋通いで生活費を工面するなかで、
唯一、質屋に持ち込まなかったもの、それが膨大な本だ。


妖怪を描くために参考とすることも多かっただろうし、
稀少な本もあっただろう。
今の時代とは違い、本の入手は簡易ではなかったからこそ、絶対に手放さなかった。


夢のために、質屋に家財の大半を質入れしても本だけは守り抜く。
自分の描きたいものにこだわり、
自分の情熱を才能にこんなにもまっすぐに一つのことに注ぎ込んでいけるなんて、凄い。


宮藤官九郎さんは、この静と動をうまく演じていた。
役者として演技を意識してきたことはないが、彼の持つ芝居への集中力を見た気がした。
映画中、宮藤官九郎だと意識することは一度もなく、
水木しげるさんだと思いながらストーリーに没頭できた。


作品のなかのしかけ


漫画からアニメーションが、動き出す仕掛けは面白かった。
実際に漫画を描いている手の動きとか、
漫画のキャラクターが実際に動きを持っていくとか、
こういう技法ができるのかと、視覚的に楽しいと思った。


ゲゲゲ、ってそういう意味だったのか


パンフレットで初めて知ったのですが、ゲゲゲとは、
水木しげるさんの小さい頃のあだ名が由来だったようです。
しげるとうまく言えず、げげるになって、それが「げげ」となったとのこと。
そっか、ゲゲゲの鬼太郎より先には、なかったの言葉なのかと、
ちょっと新鮮でした。
ゲゲゲってアニメ用に作られた擬音かと思っていました。
その音感だけで、ちょっと怖そうでドキドキした覚えがあります。


ものづくりをする人に観てもらいたい


この映画は、ものづくりをする人なら共感できることが多いような気がします。
夢に対して、よそみをせずにとにかくこつこつと続けてけていたからこそ、
不安だらけだった妻もいつしか夫を信じた。
そして、見いだしてくれる編集者に出会えた。


才能のためになにを犠牲にし、なにに集中し、
なにを譲らず、なにと折り合いをつけるか、それを考えさせられた。


妻が主役のストーリーなのだろうが、
私は水木しげるさんの今にいたるエネルギーを感じた。
物を作るってこういう熱さと、クールさが必要なんだなと思った。




余談ながら、子ども時代、私は親に『ゲゲゲの鬼太郎』は、
暗いから観てはいけないと言われた。
見ているのがわかるとちょっと怒られた。
でも、暗さのなかにも、子どもの気持ちを引きつけるストーリーがあり、こっそりみていた。
ただ怖いとか、暗いだけでないということを子ども心にもわかっていたのだろうか。



テレビ版を観た同行者は、
テレビとの役者さんの比較やストーリーの比較をして、
それなりに楽しんでいたようだ。
原作は同じでも、役者さんの違いによりどちらも面白いと言っていた。



この試写会の感想を書くために、
なんとなく私は時間が必要だった。
どう消化して書けば良さが伝わるかなと。


私たちは、物質的に恵まれた時代に生きて、でも、物があふれているからこそ、
大切なものへの渇望が欠けているかもしれないと思った。


仕事のために、未来のために、手放したくない大事なものはあるだろうか。


本筋ではないかもしれないが、生活費のために妻が本を売れと殺気立った時に、
それでも粘った姿が、温和な演技のなか、際立った。


夢のために、よそみをしてはいけない。
そして、物を持ちすぎてはいけない。
今、ほしいものに向けて、全力を尽くす。


夢って、夢中にならないと叶わない。
自分の何と引き換えにできるだろうか。


では、また。