こんにちは、検索迷子です。
今日、いくつも送別会が終わった場面に出くわした。
4月から年度始まりの会社にとっては、
今月で半期が終わるから、退職者も多いのかと思った。
居酒屋の前だったり、カラオケボックスの前だったり、
本当に今日は送別会が多いなと思った。
花束を抱えた送られる側と送り出す側が、一人ずつと握手したり、
元気いっぱいに万歳などをしたりしながら、
終電まであと少しで、明日もあるし、もう一軒飲みにはいけないけど、
名残惜しく話をしている光景をほほえましく見ていた。
そして、なぜだか思い出した。
送別会ができないまま、別れてしまった人たちのことを。
今も昔も、心と身体が同時に病んでしまって、休職したり、
フェードアウトするかのごとく会社から去ってしまう人はいる。
そういう辞め方をして別れてしまった人で、お世話になった方も多い。
悔やまれるのは、今にして思えば、
送別会をすればよかったということだ。
まわりは腫れ物をさわるように、連絡もとらず、
もちろん送別会も開かず、その人は退職していく。
だけど、その人が会社に行けなくなった原因や理由は、
同僚全員が原因であることは少ないような気がする。
何か特定の仕事や、人間関係だったりして、
仲のいい人、心を許した人は少しでもいたはずだ。
でも、不思議なことに誰も声をあげないまま、その人は孤独に辞めていく。
こじんまりでも、せめてお花を贈るだけでも、
私はあなたと出会えて、仕事で助けてもらえて感謝していますと、
どうしてそういう気持ちを伝えなかったのだろうと思う。
私自身、最初の会社では、新組織がごたごたしたさなかに辞めたため、
上司もメンバーもばらばらな状態で、皆が自分のことしか見えていなかった。
だから辞めるときも、引継ぎをするのが精一杯だった。
そうしたら、後日、その直前にいた組織の後輩がメールをくれて、
送別会を開いてくれた。
いろんな部署の人に声をかけてくれて、思った以上に人が来てくれた。
本当にうれしかった。
今、ケータイやメールがあっても、
そういう心配りをできる人は多くないだろう。
私は過去に、お世話になった先輩にお礼を言えず、お花も渡せず、
さよならを言えなかったことが今でも悔やまれる。
あれほど自分を励まし、時に叱責もされ、
でも、自分にたくさんの言葉をかけてくれた人に、
私からは何の言葉も返せなかったことが残念でならない。
メールが普及する前に出会った人は、今では連絡手段すらない。
送別会のある風景はいいなと思った。
たとえ義理だっていい。
送別会をしようと企画して、人を集めて、
送別会をしたことが思い出になる。
私は、あの人にも、あの人にも、お花を贈りたかった。
最終出社日に来てくれないかと待っていた。
でも、来なかった。
送別会なんてめんどくさい、と思うこともあるかもしれない。
だけど、一度しかできない、一度しかやらない、
その人を送るセレモニーなのだから、ぜひ、きちんと送別してあげてほしい。
送別会をしてもらえず退職した人は、
自分ってそういう人間なのだと、少しがっかりしていると思います。
どんな規模でも、送る気持ちがあればいいのだと思う。
お花と、お礼の言葉ほど、その会社での時間が報われるものはない。
誰かに送別会をしてもらえるほど、自分はここに足跡を残せたのだと思えるから。
どんな小さな送別会だっていい。
お礼を、自分にしてもらったことの感謝を、
ほんの少しでいいから伝えて行きたいと思う。
自分にたくさんのほめ言葉をいってくれたひとに、
ありがとうを言えないことが、何よりも何よりも、悲しい経験となっていく。
たった一言、ありがとうを言う時間のたいせつさがわかる。
今日であなたとお別れ、という本当に最後の日になるかもしれない。
大人の別れとは。
先輩であれ上司であれ、同僚であれ。
たいせつな人を、きちんと送別してあげてくださいね。
では、また。