こんにちは、検索迷子です。
送別会はどんな会であっても、しんみりする。
だけど、もっとしんみりするのは、
送別会をしなかったときかもしれない。
自分が辞めるときは、むしろ、
送別会はしなくていいと思うほうだ。
辞める最後に主役扱いされるのが苦手で、
少人数の食事会を何回かに分けて、
のほうがしっくりくる。
しんみりするのは、
送る側にいるとき何もできなかったり、
人によって落差が激しい送別会があったりして、
まるでその人の人望を測るかのように、
濃淡が違いすぎる送別会の時期が重なったときだ。
ある人は、会社や部署をあげて、
というくらい人が集まり、
色紙がまわりお祝いのブレゼント代金が集められる。
当日、抱えきれないほどの大きな花束が渡される。
ある人は、誰も幹事のなりてもなく、
送別会の話すら出ないこともある。
人望ではなく、たまたまそういう組織や、
シフト勤務で会が実施しにくいということもあり、
実現できないこともある。
過剰な会は好まないが、
全く会がないのも、どうかなと思う。
確か入社のときは、同じ歓迎ランチだった人たちが、
気づけは、まるで、
査定されたかのように、
送別会の濃度が違っていたりする。
学生時代はみな一律で、横並びで、
同じ卒業式という儀式があった。
部活にいた人と、部活にいなかった人と、
オプションの儀式の違いはあっても、
基本は同じ卒業式だった。
社会人は入社式こそ一律でも、
退職時期は多様で、
たった一人のための送別会が多い。
だから、違いが見えやすい。
卒業式のように送別会を一律にとは思わないが、
儀式の有無、送別会の中身を含めて、
最後にその会社での貢献度が測られるようで、
なんとなくしんみりする。
春めいた夜の街で、
送別会とおぼしきグループと、
主役を取り囲む姿をみると、
幸せな会社生活を過ごしたんだなと、
気持ちがほっこりする。
そして、中にはきっと、
送別会、してもらえないんだ、と、
さみしく去る人もいるだろうと思う。
送別会は、いろんな気持ちが交差する。
たかが飲み会ですまされない、
お別れの会だからこそ。
では、また。