最終日の挨拶


こんにちは、検索迷子です。


さよならの挨拶や、さよならの言葉、
お別れの挨拶、お別れの言葉、
そういう大切な時間の言葉を探して、
検索迷子にたどりついてくださる方が多い。


だからというわけではないけど、
私自身、ひんぱんにお別れの挨拶は、
どうであればいいか考える。


ふと考えたら、
学生時代に送辞や答辞を書いたり、
転職するたびに誰かを見送ったり、
自分が退職したり、
今はお別れにまつわる仕事をしたり、
別れが、いつもそばにあり、
挨拶をしたり、聞く機会も多いかもしれない。


思うのは、意外と辞める人の挨拶は、
印象が薄いということ。

個人的な会話ならまだしも、
複数に対してまとまって話す内容は、
どうしても無難な内容になるからだろう。


次に何をするかというエピソードや、
明るい退職か、訳ありか、休養か、
という雰囲気は覚えてるけど、
どんなにお世話になった先輩であっても、
挨拶の印象は薄い。


中身が、というより、
別れの事実の重さの前に、
どんな単語、気の利いた話も、
印象が薄まるのかもしれない。


見送る側が、感動するような人生訓を言うことは、
聞きの受け皿次第では、十分あると思う。


だけど、去る側は、なかなか難しい。


中途半端にきれいめなスピーチをするくらいなら、
誠実に感謝を伝えるだけで、
十分、相手には伝わるような気がする。


私はたくさん言葉を探す人間だけど、
一度、黙礼のみで、特定の人にお別れの挨拶をしたことがある。


相手が取り込み中だったこともあるが、
採用してくれたのに、
目をかけてくれたのに、
本当にありがとうございます、
辞めることになりすみません、
という気持ちを、
黙礼に込めた。


相手は、軽くうなづき、
わかったよ、がんばれ、
といってくれるような視線をくれた。
わずかに口角があがり、微笑みとともに。


挨拶を考えていたにもかかわらず、
一言も声を出せなかった。
にも、かかわらず、用意周到な挨拶、
丸暗記した挨拶より、
ずっと印象深い。


感謝を伝える言葉、
美辞麗句は、いくらでも、探せばある。


その根底に心はあるか、
気持ちの通い合いがあるかで、
言葉は深みを増すか、上滑りするか変わってくる。


最終だけ気負っても、もう去るのなら、
取り繕いの挨拶なんてしなくていい。


心を通わせる時間がまずありきで、
その気持ちにフィットする、
温かみのある、
あなたらしい言葉を、
そのとき思うままに表現してもいい。


私はいくつも、
自分のため、
ひとのために、原稿を用意したり、
暗唱したりしたことがある。


別れに効果的な演出を考えたり、
間合いまで考えたこともある。


別れはお芝居じゃない。
その日の空気で変わる繊細なものだ。


何も用意できないなら、
当日、何も言葉が浮かばないなら、
そっとまわりを見つめて、
深々と黙礼するだけでいい。


ありがとうございましたの一言が、
口に出せないくらい、
感極まるときもある。


自分のそのときに気持ちに従い、
心をこめた、お別れの時間を過ごしてください。


あなたがこれを読んでいる、
お別れの時間を大切にしたい気持ち、
私は、受け止めました。


社交辞令でいいなら、わざわざ、
こんな読みにくい文章を、
探したりはしない。


あなたの優しさと、
あなたが挨拶したいかたたちと、
最後といえる、
お別れの時間が、
暖かな光のもとで、
忘れがたいものとなりますように。


では、また。