こんにちは、検索迷子です。
人からしてもらって嬉しかったことを、誰かにしてあげたいと思う。
それは、ちょっとした心配りだったり、言葉だったり、
贈り物だったり、仕事の手助けだったりする。
私自身、検索迷子を誰かに何かを伝える場所として、とても大切に考えている。
それは、自分が教えてもらって嬉しかったこと、
本から得たもの、経験したことを書くことによって、
この一行、この一つのフレーズ、
たった一つのエントリーで、自分ができることがあるのだと思っているからだ。
半年以上も休まず検索迷子を書いていて、
ここまで続けられるとは正直思わなかった。よく続いているなと思う。
幾度、今日は面倒だなとか、書くことに詰まったりとか、
極端なときは、このままやめちゃおーと思ったりしつつ、
でも、もうこれは私ができるただ一つの役割かもしれないと思うようになった。
小さく考えるなら、ちょっとした話を伝える場であり、
大きく言えば、私ができる唯一の社会貢献の手段なのだと思う。
私が人にしてあげられる、一番小さくて一番大きいことだと思う。
私自身、インターネット上で嬉しかった経験を多数してきた。
この喜びを、嬉しさを人にもわけてあげたいと思う。
インターネットがなければ、できなかったことも多い。
インターネットでも、本でも、わずかな情報、かすかな知識があることによって、
進む道が決まったり、問題が解決したり、仕事を得たり、
嬉しいことがあった経験を多数してきたことの還元をしたいと思う。
おいしいものをおすそ分けするように、
もらった花束を一本ずつ他の人に分けるように、
私から、誰かへ小分けにしたものでも渡したいと思うのだ。
おこがましいかもしれないけれど、
私が手に入れたもの、私が知っている世界は、私にしか経験できなかったことだ。
それを切り取って少しずつ伝えることで、
インターネットの世界に興味を持ったり、本を読もうと思ったり、
何か行動を始めるきっかけになったり、具体的な知識を得られたり、
泣いてしまうくらい悔しい出来事の解決方法だったり、
何か一つ、何か数ミリ、検索迷子にたどり着く前より、
幸せや役に立つものがあってほしいと思う。
毎日、目に見える形で、見てくださる方の存在を自覚できることは少ない。
私の匿名性ゆえに、誰かとここで深く、濃く関わることができにくいせいもあり、
ブログとしての持ち味である、双方向性がほとんど持てない。
ただ、それは自分が何者かを明らかにしない以上、限界があることだともわかってきた。
だから、私には一方向性の情報発信の場だと思って、ブログに求めるもの、
実現したいことの目標を別に持つことにした。
ネット上でせっかくブログを始めた人が、途中で更新を止めてしまうのは、
この、一見無反応と見える孤独な空間のせいかもしれないと思う。
私も、こんなに一生懸命書いても誰も見てないとジレンマに陥ったこともあった。
けれども、私がほしいのは毎日の反応ではないのだとあるとき気づいた。
書いている私は毎日であっても、
読み手、検索する人にとっては、今欲しい情報ではないこともあるだろう。
それなら、欲しくなったときのために用意しておこうと思うようになった。
今、この情報を私が毎日入力することで、いつか使えるものに昇華できるのだと思う。
このエントリーに価値があるかを決めるのは私ではなく、読み手なのだとわかってきた。
事実、あとあとアクセス解析をして驚いたエントリーがいくつもある。
ええー。こんな書き捨てみたいな、あまり深く考えずに書いた話題が、
なんでこんなにアクセスされるの?
そっか、ネット上にないんだ、なかったんだと気がつく。
こういうサプライズのような、後からアクセスが伸び続ける、
いくつものキーワードを知ると、書いてよかったと思う。
そして、誰かの一瞬に役立ててよかったと思う。
私にとっては何気ない一日のエントリーでも、読み手が増えることによって、
そのエントリーが意味を持った話題になるのだ、
アクセス数が増えることによって、意図せず、検索上位にあがる単語もあるのだと体感した。
ただ、あまりにも考えずに書いてしまって、
こんなレベルでごめんなさいねと逆に焦ってしまうくらいアクセスがあり、
後から追加でエントリーを補足したものもある。
それに、静かながらも、ブックマークしてくれている人の存在を感じる。
誰かが、どこかで見てくれていると思う。
どこを気に入ってくださったのかは聞く機会はないでしょうが、
こんなにばらばらな話題の検索迷子を毎日訪問してくださる人には、
なんだか本当に感謝したいなと思います。
同じ場所から、同じ時間帯にアクセスがあることの喜びは大きいですね。
私もそうやって気に入っているサイトを見る習慣があるので、
無意識に巡回サイトに、いつも同じような足跡を残しているんだと思います。
それは、足跡を残す側の時には意識しなかったけれど、
残してもらった側としては、その形跡が本当に支えになるなと思いました。
ほめ言葉を声に出してもらうわけではなくても、その方にとって、
何かいい一瞬を私は提供できたのかもしれないと喜びもひとしおです。
また見に来ようと思ってもらえる、何かがあったのだなと思える喜びがあります。
気づけばいつのまにか、累計で15,000PVを超えて、
今月のアクセスも今までの最高で、3,000PVに手が届きそうです。
数字が伸びているという実感を持てるだけ、続けてきたのだなと思います。
私の取り組み方は全く半年前と同じなのですが、
特に何かをするわけでなく、じわじわとアクセスが増えています。
知っている誰かとはつながりにくくても、
見知らぬ誰かの一瞬に、きっと役立つ(あるいは役立たないと判断材料になる)情報を、
私は日々、ほんの少しずつ届けているのだろうと思うと、
ゆるゆるでもいいので、毎日何かを書こうとパソコンに向かう。
人にしてもらって嬉しかったことを、こうやって誰かにしていく。
私も、いろんなブログに救われる思いがしたことがたくさんあった。
いくつものサイトに、問題を解決してもらった。
喜びにつながることも多かった。
知識を得られて嬉しいと思うこともあった。
情報の世界で、何か小さな贈り物を与えられる人でありたいと思う。
隣の席にいれば、こんなのあるよと伝えられるようなことは、
一瞬で消えてしまう。たった一人にしか伝えられない。
でも、インターネットであれば、ずっとそれが残り続ける。
見たいときに、必要とされるときに見てもらえる。
それも、大多数に。
私の贈り物をいつ開けるかは、その人次第。
それがインターネットの良いところ。
お花をもらうのも、プレゼントをもらうのも嬉しい。
でも、それは枯れてしまったり、流行が変わってしまうこともある。
情報は、枯れない。
過去の情報でも、日付があれば過去のだって情報の一つになる。
だから、ドライフラワーでも切花でも、押し花でも、どんな形でもいい。
私は、言葉の花束を毎日、束ねて、束ねて、誰かに届けようと思う。
情報があってよかった、その一瞬のために。
リアルな花束は贈れない人にも、私は言葉を贈ることならできそうだと思う。
自分がしてもらって嬉しかったことを、あなたに。
では、また。