ブログの価値

こんにちは、検索迷子です。


検索迷子を始めてから一年半、
こんなに驚いたことはないということが起きている。


6日前に書いた、
『アンストッパブル』試写会のレビューが、
そのエントリーが単独で、なんと1600回位アクセスされている。
これまで、ときどき試写会レビューはしてきたが、
こんなに集中的にもの凄い勢いで読まれたことはない。


驚くことにそのほとんど全てが、検索結果からきているもので、
どこからもリンクはされていないし、つぶやかれてもいない。
検索キーワードも多様で、単一語検索、複合検索、自然語検索など、
いろんな方法で検索迷子までたどりついてきてくれている。


実はこの試写会は、12月に観たものだったのだが、
すぐにレビューする気分にならず時間が経っていた。
それで年明けに、あ、そろそろ公開が近いかもと思って、
せっかく試写会にいったのだから情報を先に書く役割を果たそうと、
なかばちょっと重い腰をあげて書いた。


試写会レビューを書くときは、読み手を想像することもあるが、
この映画はどんな人が観にいくのかもわからず、
私が書いたものに興味あるひといるのかなぁと思いながら、
それでもたんたんと書いていった。
他人に見せるというより、
自分がどう感じたかを記録したい気持ちのほうが大きかった。


それがまさかのアクセス数となった。
私自身、試写会にしろ、書籍にしろレビューする前には、
他の人のブログなどは読まないようにしている。
誰かの意見に引きずられてしまったり、先入観を持ちたくないからだ。


たぶん、私よりずっと先に、この試写会レビューをした人もいるでしょうし、
もっと充実したこと書いているサイトもあるかもしれない。
なのに、なぜここに来てくれたのだろうかと考えると不思議な思いがする。
何も仕掛けていないのに、人が集まってきたという感じです。


なぜか、という原因の分析は、
お金をもらってレビューを書いている立場ではないので、
あまりするつもりはないが、一つわかったことがある。
それは、ブログの内容の良し悪しを決めたり、
面白いか面白くないかを決めるのは自分ではないのだ、ということ。


この映画のレビューを探している人たちと、
たまたまそのタイミングで検索迷子でレビューしたものが、
偶然にも一致して、記事がたまたま読まれたということなのだと思う。


私がどのくらいの気持ちで書こうが書くまいが、
インターネット上に公開をしたため、検索されて情報がヒットした。
そして、読んでみようかとクリックしてもらえた。


内容が稚拙であれ、情報が何か必ずあるというのは、
試写会を観たことのない人から比べると、ゼロ以上であるのは確かだ。


気負って書かなくても、それでいいんだなと思う。
自分が先に情報を得たことは、出し惜しみや、
自分が勝手に自分が書いても面白くないかもと思ったりせず、
何でもいいから発信するだけで、後からその情報を必要とする人が現れるのだ。


検索迷子のブログがどうの、ではなく、
検索迷子のなかにある、たった一つのエントリーでも、
誰かの好奇心を満たすことができたのは本当に嬉しいことです。


自分がレビューしてもねぇと思うことだってあるけど、
そんなふうに決めつけることはないのだと思った。
必要とされていれば読まれるし、
読む気がなければクリックはされないだろう。


何かをする前に、自分で自分に低い自己評価をするのはやめようと思った。
狙いもせず、卑屈にならず、
ただただ記録するだけのものが一番、誰かを引き付けるかもしれない。


試写会という先行者利益を享受できた人は、
だからこそ、先に知った感想を伝えていってほしいですね。
それを望まれて、試写会チケットは配布されているのでしょうから。
会場で、ブログやホームページやTwitterでつぶやいてくださいと、
アナウンスがあったり、チラシをもらったりしますが、
たぶん、文字情報にして紹介する人というのはごく一部だろう。


逆に、チケットをもらえれば喜んで書くという人もいるはずだ。
私も誰に頼まれたわけでもなく、試写会に行けた映画は全てレビューしている。
チケットが手に入ってタイミングがあえば、まだまだ書きたいとも思う。


テレビCMでさんざん宣伝がされていても、
それでも、もっと詳しい情報はネットで検索する人がまだまだ多いのだろう。
知りたいのはイメージではなく、実態なのだと思う。


思いがけず、誰かが検索結果から流れてきてくれるだけで、
ブログで試写会レビューをするのも面白いなと思わされた。


書いたものの評価は、読んだ人に委ねればいい。
私は、ただ記録し続ける。
それを無心で続けていこうと改めて思った。


私の書く、検索迷子のブログだけど、
公開した先は、読み手のものなのだから。


では、また。