謝罪文をどう書くか

こんにちは、検索迷子です。


以前、謝罪文のマナーというエントリーを書きましたが、
検索単語で流れ着いてくださる方が常にいて、毎日必ずアクセスがあるテーマとなっています。


特に企業にお勤めと思われる方が、謝罪文の書き方を調べているようで、
ほんと会社勤めって大変ですよねと、
見知らぬアクセス主に対して慰労しあうような気持ちになる。
ということで今日は、少し謝罪文のマナーに関することを補足をします。


まず、謝罪文を普段から書きなれていない人、
あるいはビジネス文書を書きなれていない人は、
謝罪文には余計なことを書かないほうがいいと思います。
下手な謝罪文はそれだけで、相手の怒りに火をつけ、
仮に相手の名前を間違えようものなら、さらに本題でないことで、
不信感をもたれます。


謝罪文を書こうとしている人は、
とにかく謝らなければと気持ちが萎縮しています。
それだけで、注意力が欠如した状態なので、
余計な間違いを引き起こしやすいです。


使い慣れない敬語で体裁は整えたとしても、
体系立てた納得のいく説明ロジック、
文章としての構成や、整合性など、
普段から文章を書きなれていない人がテンプレートがあったところで、
いきなりわかりやすく書けるものではありません。


私は、多くの人のビジネス文書の添削をしてきましたが、
謝罪文を書かなければならない状況を引き起こした当人は、
そもそも、なかなか頭で事象を整理できません。


対面で謝罪するか、書式を真似るか

冷静に考えてみて、今、謝罪文が必要になったのは何故でしょうか。
段取りが不適切だったゆえに、うっかり失敗してしまったから、
謝罪しなければならない事態になったという面はないでしょうか。


人によって理由や突発性は違うでしょうが、
なぜか謝罪文におろおろしている人や、
せっかく書いた謝罪文でさらに相手を怒らせる人は、
業務経験が浅い人や、業務を上手く進めきれない人が多かったように思います。


ものごとを収束させたり、
相手にうまく説得ができず、
謝罪文や、事故報告書を書く状況を、まるで当人が引き寄せてしまったかような人を、
私はたくさん見てきました。


それでも書かなければ、では、どうしたらいいかというと、
謝罪文はとにかく、社内や身近な人が使っている過去文例から、
これなら書けるというものを見つけて、徹底的に真似るということです。


身近に例がないなら、ビジネス書でもいいです。
文章をたくさん読んでいない人は、いい文章が書けません。
とっさのときに書けないでうろたえているということは、
普段から謝罪文以外の文章も苦手なのかもしれません。


とにかく、自分でも真似できそうな、
もっともシンプルで、書きやすいものを真似ましょう。
謝罪文に独創性はいりません。
説明がいるなら時系列でいくか、結論から先にいくか、
それは事務的な箇条書きだっていいのです。



それよりも、何よりも大切なのは、
自分から出向き、自分の口できちんと謝罪することです。


これは、もちろん誠意を見せるということもありますが、
書面で全てをやりとりするリスクを回避する面もあります。


メールで謝罪を済ませようと思っている人こそ、実行してほしいですね。
なぜなら、メールはいざとなったら、自分の首を絞める凶器になります。


相手はとにかく、今、怒っているのです。
怒りを鎮めることに最も注意を払う必要があります。


そんな怒りの塊の人にメールを送りつけて、謝った気になっていても、
相手はそのメールを保存して、いざとなったら法的措置をとるかもしれません。


謝罪文ではありませんが、知り合いの会社で、
上司からパワハラパワーハラスメント)を受けていた人がいましたが、
そこの数名のメンバーは、ある時から示し合わせて、全てのメールを残して、
全てをプリントアウトして、さらに上位権限者に提出していました。


その上司いわく、メンバーかわいさに書き過ぎただけだとのことですが、
メールで書かれた言葉を読んだ第三者にはそうは思えなかったようです。
結局、その職をその人は失いました。


書き言葉で全てのやりとりをしたゆえに、メールで言質をとられてしまったのです。
メンバーは、業務が多忙でも、あんなメールさえなければ、
まだましだったと話していました。
メールがきただけで、アドレスを見るだけ、メールを開くだけで寒気がしたようで、
それだけ、汚い言葉だけが残ってしまったのです。



隣の席、向かいの席でもメールを送って業務指示をした結果、
この状況は起こりました。
会話をしていたらもっと違っていたかも知れません。


このように書き文字は、それだけで他者を攻撃したり、
防御したりする武器になるのです。



言葉の応酬にはリスクが伴います。
だからこそ、まずは直接謝りに行くこと、それが謝罪の基本です。
メールとか文章力に自信がない、言い回しが拙い謝罪文は、
かえって気分を害することもあるでしょう。


直接謝罪すれば、その場で終わることもある

顔も見たくないくらい怯えて、不安になることもあるでしょうが、
実は謝ってしまえば、その場で終わることもあるのです。
メールだと延々と言質とり合戦が続き、
書き文字だからこそのきつい言い回しだって書けてしまい、
収集がつかないほど汚い言葉の応酬になったりします。


私もかつては、面倒なことはメールで全て済ませたいほうでした。
でも、メールじゃなく直接話して欲しいと、
頻繁にリクエストされる人と仕事をするようになり、
言いにくいことほどメールを書くのをやめるようにしました。


相手は怒っていたり、不満が募っていたり、状況をまず知りたかったり、
とにかくいらいらしています。
当人は、自分自身の不安や怒りを中和してくれることを求めているのです。
怒りつつも、会話により安心させてほしいと実は思っているかもしれません。
立派な報告書や謝罪文がほしいのではなくて、まず、説明してほしいのでしょう。


相手が不機嫌なときに声をかけたり、会議室で話したりするのは、
実はとても苦手なことでしたが、
一度、話してみたら、その場ではあれこれ注意をされるものの、
あとくされがないことに気づきました。


メールだと、行間に書いてあることを勝手に推測しあい、
あとあとまでその件を思い出したり、
相手はどう思ったのかと考えたり、
送りつけたままでその後、二度と会わなかった人さえ、
ふとした瞬間にあの対応でよかったのかと、
思い出したくないのに思い出してしまいます。


今にして思えば、さっさと話して、
その場で解決してしまえばよかったと思います。
直接、謝罪したことほど、重い話でもすっきりと片付いています。


謝罪メールを受け取った側は

謝罪文を書こうとしている人を脅すわけではありませんが、
私は謝罪メールでも誠意がないものは、
必ず、その発端となった出来事から一連のメールとともに保存しています。


いつかこのメールで裏づけをとり、
三者に相談して、なんらかの対処をしようと思う、消去できないメールがあります。
どんなに嫌な思い出だったとしても、苦手な相手だったとしても、
アドレスを見ただけで不快になり、もう二度と顔は見たくないと思っていても、
そういうメールは自分を守る武器になるので、捨てません。


謝罪文に納得がいっていないもの、
理不尽な結果だったもの、金銭的や業務上損失を招いたものなど、
相手の責任を問い、さらなる謝罪を引き出さないとと思う火種は、
自分の側でしっかり持っていたほうがいいのです。
いつか第三者に見てもらうなら、絶対に削除はしない。
だって、それが証拠そのものですからね。


また、謝罪文やメールではありませんが、
以前、知り合いから聞いた話では、
とある組織では、外部との会議で議事録をとらないことが慣例化していました。
当然、言った言わないのことが頻繁に起きていました。


すると、ある会社が数回目の訪問から、
録音していいですか、議事録をとらせてくださいとスタッフを連れてきました。
ということが、なんと別な三社で連続しておきました。


言い方がやんわりと、スタッフとの状況共有や勉強のためにということでしたが、
これは、あきらかにやんわりとした不信感や、
言った言わないを防ぐための対策に見えました。


実際に、もめごとになった際に、いついつのメールに記載がありますと、
はっきりと指摘するのに使っていました。
文章に残すということは、重たいことなのです。


そんななかでも、謝罪文を書くのは最大級に大変なことです。
だからこそ、余計なことはしない。
自分ひとりでは判断しない。


そして、受け取る側はそうしたメールは安易に消去しないで保存しておく。
メールという保存が簡易なものを使うなら余計に、
電子記録として残るのだと理解して、
ほどよく緊張をしながら送信したほうがいいでしょうね。

謝罪文の書き方より磨くことはないか

謝罪文を一生懸命書くなら、
相手に3時間会議室で怒鳴られたほうが、ましなこともある。


謝罪文が書けないのではなく、
ビジネス文書全般が書けないことと混同してはいけません。
頭のなかで物事を整理できていますか。
ちなみに、お礼の文章だったらすぐに書けますか?


人によるでしょうが、
立派な謝罪文でも、稚拙な謝罪文でも、怒る人は怒ってるのです。
まずは、火を消せということでしょうか。


相手が面会による謝罪を拒否したら、
メールはしかたないかもしれませんが、
そんな状況ならなおさら、揚げ足をとられるリスクはありますね。


さて、謝罪文を書かなければならない状況は、
どうして生まれたのでしょうか。


自分のせいでない人はお気の毒ですが、
思い当たるふしがある人は、
相手を変えても同じようなことをしてしまわないよう、
自分の行動や言動をまず見直したほうがいいかもしれませんね。


謝罪文のプロになるより、
まずは、日常の業務精度や、対人関係やコミュニケーションのとり方に、
問題がなかったか、根本を一度考えてみるのもよさそうです。


ちなみに私は、もらって嬉しかった謝罪文など一つもありません。
そこにエネルギーを向けるより、気持ちを伝える方法を考えましょう。


文章は文章で書かなければならないなら、シンプルに。
してしまった事実は、どのみち消えないのですから。
いまさらこってりデコレーションしても、時間は戻らないのです。


心を込めて、シンプルに。


では、また。