脳を活かす仕事術(2)

こんにちは、検索迷子です。


以前、茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)さんの
『脳を活かす仕事術−「わかる」を「できる」に変える』を読んで、
簡単なエントリーを書いた。

脳を活かす仕事術

脳を活かす仕事術


それから、だいぶ時間があいてしまったが、今日はその続きを書きます。
なんとなく、今日書こうと思うことを自分の行動として消化するために、
少し時間が必要だなと思っていました。


情報を具体化させる一歩を踏み出す


私たちは、日常的にいろんな情報に触れ、
知的好奇心を満たしたり、自分の生活に役立てている。
でも、それを自分が主体性をもって誰かに伝えるということは、
なかなかできていないのかもしれないと思っている。


伝聞としてなら言えている。
でも、自分の主張や意思を織り交ぜながら、
自分独自のものとして咀嚼をして、伝えるというのはかなり大変なことだ。


ネットで見たよ、テレビで見たよという話なら気軽にできる。
だけど、それを体系だてたり、信頼がおける情報にしたり、
あるいは、そこに創造性を追加しながらアウトプットというのは、
頭を使うことであり、時に責任も伴うため、
改まってはできないことだったりする。


その、自分としてはなかなか乗り越えがたい点を、
これから紹介する部分で向き合うことになった。


情報を言葉として出荷する=Real artists ship


前回紹介した茂木さんの、論文を書き出せないエピソードの続きとして、
イデアや理想も、実際のかたちにならなければ意味がないとして、
本書では紹介されている。


脳を分析・整理するためには、情報を言葉として出荷する


マッキントッシュMac)やiPodなどの生みの親である、アップルコンピュータの創業者スティーブ・ジョブズ。彼は最初のコンピュータを開発しているとき、スタッフたちにこう言ったそうです。
「Real artists ship」
ここでいうshipは、「船」ではなく「発売する・出荷する」という意味です。直訳すると「本当の芸術家は出荷するのだ」ということ。「すばらしいアイデアはとても大事だ。しかし、それを具体的な商品にしてユーザーの手元に届けることは、もっと大切だ」と伝えたといいます。
ジョブズのいう「頭の中の情報を”出荷”すること」には二つのメリットがあります。一つは「その情報の価値を客観的に分析できる」こと。もう一つは「感覚系と運動系の調和が図れる」ということです。

話しながら考え方をまとめる=talk though


この、考え方に続けて、次のような例を出しています。

その端的な例が「他者との会話」です。
日々の仕事や生活の赤で、「誰かにしゃべっているうちに本当に自分の言いたいことが整理されてきた」とか「自社商品の魅力をお客さんに伝えているうちに、どういう伝え方をすれば相手の心に響くかわかってきた」という経験はありませんか。イギリスでは、このように、相手に自分の考え方を説明してまとめることを「talk though」と言っていました。
頭の中の情報を「言葉」というかたちで出荷するとき、人は「自分の耳で聞きながら意味を再確認すること」と「相手がどういう反応をしたかを見ること」を同時に行っています。そこで、二つの情報を比較しながら、「自分が相手に伝えたいことは何か」「どう伝えるのが最もよいか」を分析しているのです。

そして、同じ話を何度かしたとき、もっとよい話し方を学習すると書いている。


脳の入力と出力に必要なものは、言葉


さらに脳科学的な点から、アウトプットすることの意味を説明している。

誰かにしゃべったり、文章を書くといった「運動出力」は、大脳皮質の運動野や運動前野を中心として構成されます。一方、運動出力の結果を知覚するのは、大脳皮質の感覚野が中心になります。極端な言い方をすれば、「出力する私」と「知覚する私」は、別の「私」なのです。
脳の「出力」を高めるためには、脳に「入力」された感動した言葉、役立ちそうな情報を、友人などに実際に話して「出力」することが大切です。その結果、その言葉や情報が自分の血となり、肉となって整理されるのです。
これが、僕の仕事の極意、「脳の入力と出力のサイクルを回す」ということです。
感覚系と運動系のバランスは、このように整えられていきます。そして、感覚系と運動系が理想的な状態で調和している例として最も身近なものが「言葉」なのです。

え、言葉ってそんなに自在に使えているかなと思ったら、
このあと、描画や演奏に比べると、言葉は比較的思うように誰でも操れているはず、と続きます。
確かに、同じ表現をする形態でも言葉を話すということは、
絵を美しいと思ったり、音楽をすばらしいと思っても再現できないジレンマに比べると、
まだ、なんとか表現できるものだと気づかされます。

毎日、出力するということ


今日紹介したのは、ページにすると4ページに満たない部分を、
ほとんど引用しています。
それだけ、私自身はここを何度も読み返した部分なのです。


何かを理解したり、見聞きしたりして、
「知っている」「わかっている」「これがいいと思う」と思うことは、
たくさんあります。
でも、それをどれだけアウトプットしてきただろう振り返ったりすると、
それはごくわずかな気がします。


あるいは、せっかく知識として仕入れたことでも、
アウトプットをしないばかりに忘れてしまったり、
学びなおさなければならなかったり、
部分的にあいまいだったりして、
何度も同じことを繰り返しているような気がすることもあります。


入力は十分だ。
でも、出力が足りない。
そう、思うことがだんだん多くなってきました。
そして、出力しないことによる時間的損失を考えるようになりました。


これは、仕事の場だったり、
あるいは何か資格の勉強だったり、
とにかく、せっかく覚えたことを活かしきれていないときに、
ものすごく痛感する。
苦労して覚えたのにとか、
あのときこんなことを考えていたのに、記録しておけばとか、
取り返せない時間を悔いるという感じだ。


私自身、検索迷子というブログをなぜ続けているのかと考えたら、
たぶん、入力だけでなく出力することをサイクルに組み込まないと、
何かバランスがとれないからだと気づいたからだと思う。


今、300日くらい無休で更新しているのも、毎日を意識してのことだ。
書きたいことがあるときに、ときどきアウトプットするというのではなく、
毎日何かを入力しながら生きているのだから、
毎日一つくらいは文章の形で出力することはあるはずだ、
何か考えて生きているし、何もない一日ってないのだから、
出力することを自分に課している面もある。


ブログで書くという場が常にあると、
出力を意識しながら入力をするようになると気がついた。
ささいなところで言えば、本のレビューだったり、映画のレビューだ。


特に、以前は映画の感想などは全て、知人にメールをするなどして伝えてきた。
でも、そういうものは一対一の関係で消えてしまう。
他の人から、ブログを始めて書けばいいのにと言われていた。
せっかくだから他の人にも伝えればいいのにと。


そのときは、ブログを始めるなんて考えても見なかったけれど、
今、ブログのレビューがアクセスされるのを見ていると、
何か他者と対話しているような気持ちになる。
そして、学習することもある。


出力と入力のサイクルを回すことって、本当に大切なことだと思う。
それでも、まだまだ自分としては足りないかもと思う。
だから、この茂木さんの本では、何度も考えてしまった。


Real artists ship、
talk though、
出荷して、話しながら考えをまとめて、言葉にし続けていく。
そこからしか見えてこないものもある。


誰かに伝えていくことで、見えてくるものがある。
だから、言葉はかけがえのないものなんだと思う。


自分一人で考えていても、
どんな思いだって伝わらない。
だから、毎日ほんの少しでも、言葉を綴る。


では、また。