石垣りんの先見性

こんにちは、検索迷子です。


先日の、石垣りんの『貧しい町』と同じ詩集に、
石垣りんの代表作で、教科書にも掲載されていた詩がある。


読み返して、改めて年表を見てみて、これが1952年(昭和27年)に、
当時の32歳の女性が考えていたことだと思って読むと驚くことが多い。


それが、「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」だ。
抜粋して引用します。

私の前にある鍋とお釜と燃える火と  石垣りん


それはながい間
私たち女のまえに
いつも置かれてあったもの、


(中略)


炊事が奇しくも分けられた
女の役目であったのは
不幸なこととは思われない、
そのために知識や、世間での地位が
たちおくれたとしても
おそくはない
私たちの前にあるものは
鍋とお釜と、燃える火と


それらなつかしい器物の前で
お芋や、肉を料理するように
深い思いをこめて
政治や経済や文学も勉強しよう、


それはおごりや栄達のためでなく
全部が
人間のために供せられるように
全部が愛情の対象あって励むように。


学生時代に読んだ頃、この詩に政治や経済や文学も勉強しよう、
という単語が入っていた印象が皆無だった。


大人になれば、勉強が遠ざかることがある。
政治や経済や文学も、得手不得手、興味関心や、
仕事などと関係ないことなどは、まったく明るくないジャンルもあるだろう。


女性が今よりずっと弱い立場、もっと発言権のない時代、
もっと家の中のことを完璧に行う主婦の立場を求められていた時代、
働く女性として、石垣りんは今の時代にも通じる一言を残していた。


半世紀以上経った今、その投げかけられた言葉は、
決して古くなく、切実に実感する人もいるだろう。


何を学んでも、人間のために供し、
全部が愛情の対象あって、という学び方はたやすいことではない。


その広い視点、自己の打算だけではない発想に驚く。


あの時代、ここまで考えていた一人の女性がいた。
今の時代、私たちはどれだけ先のことを考えて、
学ぶテーマを見出し、学びのプロセスや、
学ぶ内容のアウトプットに目を配れるだろう。


そして、これがもっとも需要なのですが、
詩という言葉として綴り、後世に語り継ぎ、
誰かの心を揺さぶることができるのだろうと思った。


たちおくれたとしても、
おそくはない


だから、学び、発信していこう。


私にとっては、検索迷子はそういう、小さな場所なのかもしれない。
自分にとっての知識を蓄える場であり、
ほんの少し誰かに知識をおすそ分けする場でありたいと思う。


今は、誰が読者かまるで知らず、こんなの書いててもなぁと思う毎日ですが、
いつか、誰かがこの一文に立ち止まってくれる日もくるでしょう。
きっと、ね。


では、また。