石垣りんの『貧しい町』

こんにちは、検索迷子です。


石垣りんさんの詩に『貧しい町』という作品があります。
働いている人は、ちょっとしんみりとしてしまうような内容です。

帰路の店頭の売れ残りのてんぷらと、自分の時間の対比をして、
自分の生きのいい時間はどうしたのだろうという内容です。


抜粋して引用します。
引用元は、『石垣りん詩集』ハルキ文庫、
本書の編・解説は詩人の粕谷栄市(かすや・えいいち)さん、
エッセイは落合恵子(おちあい・けいこ)さんです。

石垣りん詩集 (ハルキ文庫)

石垣りん詩集 (ハルキ文庫)

貧しい町     石垣りん


一日働いて帰ってくる、
家の近くのお惣菜屋の店先きは
客もとだえて
売れ残りのてんぷらなどが
棚の上に まばらに残っている。


そのように
私の手もとにも
自分の時間、が少しばかり
残されている。
疲れた 元気のない時間、
熱のさめたてんぷらのような時間。


(中略)


私の売り渡した
一日のうち最も良い部分、
生きのいい時間、
それらを買って行った昼間の客は
今頃どうしているだろう。
町はすっかり夜である。


この詩集で、エッセイを書いている落合恵子さんは、
ご自身の講演の場でも、この『貧しい町』を朗読されていたことがあるようです。


この詩の力強い言葉に、もはや解説はいらないような気がしました。
諦念や投げやりな詩ではなく、
何か自分の時間をどうするかという、活力を生み出すような詩だと思いました。
十四歳から定年まで日本興業銀行で働き、家族を養った石垣りんさんならではの、
芯の強さを感じます。


売れ残りのてんぷらのような時間、
生きのいい時間を明け渡した後の時間、
でも、まだ自分には時間がある。


今は夜だけど、そこで終わりではないという気持ちになります。


あきらめて、疲れ果てて、それで一日を終えてはいけない。


詩には書かれていない言葉ですが、そう励ましの言葉として読みたい詩です。


疲れた、元気のない時間を過ごしている人こそ、
この言葉の意味をかみしめて、次に一歩を踏み出してほしいという願いを込めて。
きっと、生きのいい時間を自分のために使えるときが、くると信じて。


では、また。


追記
以前、石垣りんの「表札」の潔さ、というエントリーで、
石垣りんさんについて記述しています。よければあわせてお読みください。
http://d.hatena.ne.jp/kensakumaigo/20100327/1269712064