石垣りん「二月のあかり」

こんにちは、検索迷子です。


石垣りんの「二月のあかり」を紹介したい。


今は三月だが、この詩は春に旅立つ人を見送ったり、
環境が変わってお別れをする人に向けて、
はなむけの言葉や、励ましの言葉になるだろう。


また、多くの人と別れ、
自分一人だけが新しい環境に飛び込もうとする人の、
不安な気持ちを勇気づけてくれる言葉になるだろう。

二月のあかり
           石垣りん


二月には
土のなかにあかりがともる。


遠足の朝など
夜明けの
まだ暗い空の下で
先に起き出したお母さんが
台所のデンキをつけるように
旅のしたくを始めるように。


二月にはぽっかり
土の窓にあかるいものがともる。
もうじき訪れる春を待って。


草の芽や
球根たちが出発する
その用意をして上げるために
土の中でも
お母さんが目をさましている。



『レモンとねずみ』石垣りん、童話屋刊

レモンとねずみ (童話屋の詩文庫)

レモンとねずみ (童話屋の詩文庫)


まだ肌寒い二月に、春を待ちわびる。
まだ薄暗い明け方の空に、デンキのあかりがともる。
それを灯してくれる、存在がいる。


旅立ちの準備のために、
自分は心の準備を整え、
そして、環境もそれに合わせて、
ゆっくりと水面下で変わっている。


誰かがサポートしていてくれることもあるだろうし、
自分の気持ちの切り替えの期間として、
内面的なものだけかもしれない。


いずれにしても、
出発をすることが決まっているときは、
もう時間の流れに身を任せるしかないのだ。


誰かがそっとそんな自分を支えてくれたり、
あかりを灯してくれている。


そう思うだけで、
不安な気持ちには、ちいさなあかりがともる。


もうじき本当の春が来る。
今日の時点でも春といえば春だけど、
年度初めの4月を前に、
自分にはどんな春が来るのだろうと不安と期待が入り混じり、
いきなりスタートダッシュできないような、
そういう心持ちの人もいるだろう。


でも、どこかであかりはともる。
自分がともすのかもしれないし、
誰かがともしてくれるのかもしれない。


それは新しく出会う人かもしれない。
新しい場所にいった自分なのかもしれない。


あかりがともっていること、
あかりを灯してくれる人がいるということに、
気づけるような自分でいたいと思う。


旅のしたくはできただろうか。
出発する用意はできただろうか。


この詩は、
「土のなかにあかり」がともる、から始まり、
「土の窓にあかるいものがともる」と変化している。


本当にあかりから、
心が感じる、あかるいものと変化している。


あかりを感じる春にしたい。
あかりをともせる、
あかりを見られる春にしたい。


そのために、
心にあかりをともしながら、
旅立ちを怖れないで進み続けるひとでありたい。


二月という最も寒い時期と、
あかりという温かみの象徴との対比が、
厳しさのなかに救いと生きる力をくれるような詩だ。


あかりをともして、
あかるいものがともるのを待とう。
自分のためだけでなく、
誰かのためにも。

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