こんにちは、検索迷子です。
詩人で誰が好きかと聞かれたら、
迷わず、石垣りんさんを挙げる。
検索迷子はブログを開設して、もうじき4年になるが、
石垣りんさんの詩をいくつか紹介してきた。
ブログを書いてきたことで、
石垣りんさんの詩に傾倒している自分を知り、
自分が検索迷子の書き手であることを知るごく一部の人から、
感想のようなものが聞けるようになった。
そのなかで、一番驚き、
そして、一番悔いていることがあり、
なぜもっと早く、自分の興味の方向性を開示してこなかったのかと、
思った出来事がある。
それは、
本当に身近な人間が、
石垣りんさんが亡くなる直前に過ごした場所の、
すぐそばで働き、石垣りんさんを毎日見ていた、
ということをずっと後になって知ったことだ。
会いに行こうと思えば、
いや、そこまで大それたことでなくとも、
一目お姿を拝見しようと思えば、
それが叶ったかもしれない場所にいたのだ。
なのに、そんなことを一度も考えたことがなかった。
その人がブログを見て、
毎日見てたんだよと言ったのを聞いたとき、
ああ、どうしてもっと早く、
このことを書いてこなかったのだろうと思った。
石垣りんさんは2004年12月26日に亡くなっている。
インターネットはもう普及し、
自分自身もそのとき、まさにインターネットネット企業に勤めていた。
表現する手段もノウハウも普及効果も、
十分知りながら、自分のためにそれを使っていなかった。
会いたいひと、
実現させたいこと、
自分の興味のあること、
それを開示することで、
その情報をくれる誰かがいる。
そして、
いいタイミングで伝えていかなければ、
機会を逃すのだということを知った。
自分が石垣りんさんを雲の上の人だと思っていたため、
リアルタイムで生きているときに会えたかもしれないのに、
その機会を逃していたなんて。
石垣りんさんまで、あと一歩だったのだという悔しさは、
時期を逃さず、
自己開示を怖れず、
叶えたいことは口に出しておくほうがいい、
ということを教えてくれた。
検索迷子で紹介した、
石垣りんさんの詩は、こちらですべてリンクを掲載しています。
あと一歩という悔いを、
あのとき何かをしておけばという悔いを、
もう持ちたくない。
それくらい、
すぐそばにいる人間の、すぐそばにいたのだ。
あと一歩で届かなかったものは、
一歩も届かなかったと同じことなのだ。
ためらわず行動しよう。
では、また。